下村彰慶 オステオパシー人生のブログ|日本オステオパシープロフェッショナル協会

日本人講師(堂畑)によるメカニカルリンク国際セミナー 2017.10.20~22

今回、神戸で開催されたメカニカルリンク国際セミナーは、これで3クール目となる。

しかし、これまでとは大きく違うところが1点ある。

 

それは、講師が「日本人」である…ということだ。

講師を日本人にすることにより得られるメリットは非常に大きい。

 

1つは セミナー費用を大幅に安く提供できる。

1つは セミナー期間の短縮により連休などの宿泊代が高い時期を避けることが出来る。

1つは 日本語で会話が通じるため受講生は質問しやすくなり理解力が増す。

 

このようなメリットがあることから、これまでにも何度か創設者のポール・ショフールやエリック・プラット等に提案はしていたのだが、いずれも認めてくれなかった。

理由は非常に明確で、彼らがメカニカルリンクにかける思いである。

彼らが言うには、ヨーロッパにおいても講師になるための試験を受けるには最低でも10年以上の経験を積んでいなければいけない…と言う。

 

そういった筋道の通ったことを言われると私もよくわかる…ということで、相手方にもこちらの思いが伝わるような行動をとるしかない。

ということになり、メカニカルリンクチームから3人を選び、毎年9月に講師だけを集めて行われているメカニカルリンクセミナーに参加させていた。

 

そして、今年、リンクチームのリーダーに任命している堂畑は、10年という年月をクリアしたこともあり、9月にフランスで開催された講師だけを集めたセミナーに参加させると共にセミナー講師の試験も受けさせたのである。

 

私は、日本での仕事が忙しいためフランスには行けなかったのだが、妻の裕美や山下等からの話を聞いたところでは、試験が終了した時に「問題ない…」と言ってくれたそうだ。

 

ポール・ショフールの性格を知っている方なら理解していただけると思うが、堂畑が試験に合格したことに対し、私からの働きかけ等は一切していない。

もし、したとしても、ポールやエリックは受け入れるような性格ではない…特にポールは()

 

本当に堂畑はチームをまとめ、これまでよく頑張ってきてくれたと思う。

本当に「感謝」の気持ちしかない。

 

そして、講師 堂畑によるメカニカルリンクセミナーは予想以上の好反響をいただき、大成功の内に無事終了した。

最終日は、大型台風21号の接近により予定より早く切り上げ終了したそうだが、日本人講師による「メカニカルリンク」というオステオパシーアプローチは、まさしくこれからの日本国内のオステオパスにとって台風の目になることと思われる。

 

断っておくが、メカニカルリンクは常に進歩し続けている。様々な疾患に対するアプローチも次々と見つけてきているし、検査の方法も変化している。

つまり、5年前に覚えた方法は現在においては、もはや過去のもの…ということだ。

 

ぜひ多くの日本人に学んでいただきたいオステオパシーアプローチの1つである。

 

 

英霊参拝(回天訓練基地跡:大津島)  2017.8.27

長い間机の上に埋もれていた!

 

私は、毎年、子分達を引き連れて、英霊参拝を行っている。

昨年は、指宿に行ったが、これまでにも知覧・鹿屋・大和ミュージアム・海軍兵学校・靖国神社などに参拝している。

 

今年は、総勢37名で大津島にある回天基地跡を参拝した。

 

私が、子分達を引き連れて年に1回参拝をするようになった理由はいくつかある。

一、国家のために散華された英霊に対し、今の日本の発展と平和があるのは、こういった方々のお陰であるということを理解させ感謝する気持ちを持たせるため。

一、勝者によって都合よく修正された歴史ではなく、本当の歴史を教え民族の誇りを取り戻させるため。

一、現代日本において忘れ去られようとしている「忠孝」という意味を、もう一度考えさせるため。

一、何よりも「命」が大切であるといわれている現在において「命」はもちろん大切だが、それよりももっと大切なものは「人としての生き方」ではないのか…を考えてもらうため。

 

こういったことを書くと「下村は右翼だ!」と思われる方や言われる方がいるだろうということぐらいは容易に想像がつく。

英霊に対して感謝し、参拝することが「右翼」と思われるのなら残念だが仕方ない。

 

断っておくが、もし、戦争に対して単純に「賛成か」「反対か」というような空虚な馬鹿っぽい質問なら、当然私は「大反対」である。

しかしながら、私を生み育ててくれた母が住む国や、私を育ててくれた郷土が、もし、どこか第3国の手によって蹂躪されるようなことがある場合、私の身はいつでも国家に捧げる決心は出来ている。

「卑怯なことをして「生」に執着するより家名を汚すな」というのが、祖父や父からの教育であり、私もそうしたいと願っているからである。

当然、子供に対しても同じように教育している。

 

私は今57歳だ…。なぜだかはハッキリとわからないが、私は若い時は「自分は50歳で死ぬはずだ」と、勝手に思い信じ込んでいた。ところが、50歳を過ぎて51歳になった時に「あれっ…!?」と不思議に思ったのを今でも覚えている。

だから50歳を過ぎてからの自分の人生は、もらいもんだと思うようになった。よくよく考えたら変な話だ。

日本語しか喋れず、学歴では出来そこないの私が恵まれた生活をさせていただいている。もし、この日本という国家がどこかの国によって侵略されていたら、間違いなく今の私はなかっただろう。

世界の過去の歴史を見ても、侵略された国家で生きることが出来たとしても、多くの場合それは「死」よりもっと悲惨なものだ。

したがって私は、国家にとって利益となることはしても、不利益となるようなことはしないことにしている。例えば、パソコンや事務用品はすべて日本製である。

 

もちろん、脱税などは一切していない。税率も高いし、払うのが辛い時もある。しかし、この税金が日本国家の血となり肉となるのだ。だから、私はしんどくても毎年正しく税金を支払っている。「払えるだけ有難いことだ」と思うようにしている。

ちなみに、これまでに何回か税務署が調査に入った。しかし、ただの一回も脱税による追徴金など取られていない。細かくいうと、診断書や証明書などの手数料もすべて申告している。

 

 

さて、この回天基地跡であるが、元々は九三式酸素魚雷の発射試験場であった。

現代人には何のことか分からないであろうから簡単に説明しておこう。

大日本帝国が、大東亜戦争に突入した当時において、帝国海軍が開発した酸素魚雷というのは、航続距離、破壊力ともに世界最強であった。

当時、世界の魚雷の主流は、石油と圧縮空気を混合燃焼させるため、白い航跡が現れることから相手に発見されやすかった。

しかし、大日本帝国の酸素魚雷は、酸素を燃料にすることで航跡がほとんど現れないため、相手に発見されにくい。

 

世界各国も、酸素魚雷の開発を試みたが、問題はその取扱いが難しく少しのことですぐ爆発してしまう…。

このことから開発を諦めたのだが、日本だけが研究を続け、ついに安全な酸素魚雷を開発し実用化に成功した。

ちょんまげを結っていた時代から文明開化してわずか約70年で、その当時の先進国の中で魚雷においてはダントツ世界一の兵器を、日本民族だけの能力と手によって造って見せたのである。

私の知る中で、文明を取り入れてから、これだけの年数でこのような急成長をした国家(民族)はないはずである。

こういった歴史的事実に対して、本当に民族としての誇りを感じる。

だから、いつも困難にぶつかっても、もっともっと頑張れるし打開出来るはずだと思えるのだ。

 

さて、このような世界最強の魚雷であっても、航空機や駆逐艦がなくては活躍することが出来ない。

回天の開発を始めた昭和19年において、大日本帝国は、米国の工業力(物量)と科学力に圧倒され、南太平洋の各地において敗退を重ねていた。

多くの軍艦や航空機を失うことにより、世界一の酸素魚雷を活躍させることがなくなってしまった。

そこで考案されたのが、魚雷を半分に切り、その間に人間の入る空間を造るというものである。

いわゆる人間魚雷「回天」である。回天の意味は、その当時、不利であった日本の戦況を「天を回(めぐ)らし戦局を逆転させる」という意味で名付けられた。

 

そこまでして日本は、米国(形式上は連合軍)と戦ったのだが、願いついに天に届かず日本は大東亜戦争に敗れる…。

日本史上 初めての敗戦であった。

 

それから72年、日本は経済力においては、再び先進国の中枢の位置を占め、科学、工業力とも力を持っている。

そして「平和な時代」を甘受している。

そして今では、ついに「平和ボケ」してまったく危機意識がない…。

 

毎年8月15日前後には、メディアが大東亜戦争の特集を組んで色んなことを言っている。

「軍の主動で…」のフレーズは、必ずどこかに入れている。

ウソをつくな 国民をあおったのは、当時のメディア(新聞)である。

それも特に「朝日」と「毎日」は酷かった(今では考えられないが…)

そして、それにあおられて国民がメディア(新聞)とともに、軍部をより突き上げたんじゃないのか…!

いくら軍部が戦争をしようとしても国民にそんな気がなければ、戦争なんて出来るもんじゃない。

帝国陸軍はともかく、海軍は、日米開戦には反対の立場であった。

昔も今も、メディアというものは真実を伝えない。世論に迎合し、あるいはメディア各社の考えに世論を誘導しようとする。

まったくもって困ったもんだ…。

 

さて、今回の英霊参拝だが、土曜日の6:00pmにホテル ルートインのフロントに集合し、そこから歩いて10分ぐらいの所にある居酒屋で食事をとった。

特に美味くもなくまずくもなく、まあこんなもんだろう。

そこで食事をした後は、地方のメンバー以外は解散となり、各自自由行動となる。

なんでも、福泉、伊藤、東山、守安…達は、福泉のおごりでキャバレーに行ったらしい(笑)。

そこのところを福泉に尋ねると「おごらされた…」と言っていたが、メンバーの名前を聞くと福泉が言っている方に分がある(笑)。

 

さて、英霊参拝の当日、9:00amにホテルフロントに集合!のはずが、伊藤のヤツが寝坊していないではないか。起こしに行かせて少々遅れたところで出発。

9:30amの高速艇で大津島へ!

そこから徒歩約10分の所にある記念館に行き、そこでまず、館長の話とビデオを見る。その後、記念館内にある隊員の方々の書かれた遺書などに目を通す。

いつものことであるが涙が出る…。

本当に頭が下がる思いだ。もし、今、自分が数日後あるいは数時間後に出撃する(必ず死ぬ)ということが分かっているのに、こういった文が書けるだろうか…。

気を取り乱さずにいられるだろうか…。

 

そういったことを考えると、当時の帝国軍人の精神力の強さがよく分かる。

本音では母の胸に抱かれたかったであろうし、生きたかったであろう。これは人として当然のことだ。しかし、遺書の中に書かれているのは、父・母・への感謝、国家・郷土への感謝、妻や子供達への想い、兄弟への想いなど残された者達への愛と思いやりである。

しかし、仮に軍の作戦命令であったとしても、他国の軍隊であれば、この様な作戦を示すとパニックを起こし、軍隊としての統率は執れなくなり脱走者が相次いだことだったと思う。

そういったことを考えると、当時の帝国軍人の精神力は凄いなと思わされる。

飛行機による神風特攻隊の隊員も、回天特攻隊の隊員も出撃の命令が下った時は、やはり顔の表情が暗くなるが、自分が「死ぬ」意味をみつけた後は表情が明るくなり、周りの者に対して気遣い、みんな優しかったと特攻隊員のことをよく知っている方は言っている。

おそらくだが、「死ぬ」ことよりも「死ぬ意味」を各自がみつけるまでが辛かったのだろう。

母(父)、妻、兄弟、親友、恋人、郷土、国家のことを思い、自分が「死ぬ」ことで、愛する人や郷土を一分一秒でも守れるのなら…という思いで散華されたのだろうと思う。

現在のように、忠義・忠孝・感謝の精神を忘れ、損得でしか動かない人間が多くなった状態で、もし、日本が敗戦を迎えていたら、間違いなく今の日本はなかったと断言できる。

 

話しが長くなってしまったので元に戻す。

記念館を出た後、基地跡に向かう。その途中に回天を運んだレール跡がトンネル内に残っているので、当時の状況にタイムスリップしてトンネル内を歩いた。

基地跡を見学し、船着き場に戻る。船で徳山港に着いた後、解散!

 

私と妻、北内、前田、小林、牧野で昼食を食べにラーメン屋を探すが、どこも空いていない。仕方なく空いてる所に入ってラーメンを食べたが……(無言)。

 

「これはあかん 食い直さんと」…と思い

「もう食べれません」と言う北内を無理やり引っ張って、駅構内にあるうどん屋に行く。

 

下村「やっぱり手堅くこういった系統の店に行くべきやったなぁ…」

北内「そうでしたねぇ~」

 

下村「まぁ こういった店は特別美味いこともない代わりにまずいこともない。冷凍

麺やけど、しっかりとこしがあるからなぁ…」

北内「ほんとですね。初めからここに来ておけばよかったですね」

 

と、言いながら店に入り、食券を買いうどんを注文! 2~3分で出来上がる。

 

下村「さあ 食おうか。食べ直しやなぁ~」

北内「いただきま~す」

 

と言ってうどんをズルズル。

 

北内「このうどん こしないですね… 先生の好きなタイプではないですねぇ~」

下村「………」

 

おしまい

 

今日の朝一の患者さんから一気に治しにくくなった。  2017.10.16

こんな経験は初めてのことだ…。

 

今日の朝一の患者さんから最後の患者さんまで、すべての患者さんに共通した症状があり、すべてにおいて治りにくくなっている。

これだけなら、これまでにもPMの問題に気づいてから年に2~3回程度は上記のようなことはあった。

つまり、ある日を境に一斉に患者さんの状態が変わるのだ。

しかし、今回はこれまでとは違ったものが1つ加わっている。

 

それは何かというと、本当に悪い場所(治したい場所)から電磁波を抜こうとして、いきなりCHIP(ACE)を当ててもまったく抜けないのだ(正確にいうと、これまでのように反応しない)。これまでは、こんなことは一切なかった。

 3人目の患者さんから何とか解決の糸口を見つけたが、前処置を施さないといけない。

また、私が受ける身体へのダメージがこれまでよりも酷い。したがって、治療が終わった後、風呂に浸かっての自己治療の時間がこれまでの約1.5倍かかるようになった。

 

しかしながら、更に驚いたことがもう1つある。

急激な患者さんの変化にまだ完全な解決方法を見つけていない間に、ファーストの受付でもある邉見が「会長~、何か患者さんの様子が変じゃないですか~? 首に棒のようなものが胸にかけてあるんですが、症状が消えても棒のようなものがとれないんですよ~」と言ってくる。

正直、いくらJTOC1期生とはいえ、まだオステオパシーを始めて3年だ…。

まさか、こんなことまで感じとれるとは思っていなかったので、私の方から声はかけなかったのだが、これには本当に驚いた。

多分、これがわかるのはJOPA講師の中でも前田を含めて数人ぐらいだろう…。と思っていたのだが。

 

結論として何とか解除する方法は見つけたが、急速に日本人の身体が悪くなっている。

23年どころか半年後がどうなっているか恐ろしく感じる。

 

このことをどう伝えたらいいのか今のところ考えているが、このままでは民族の存続が危ぶまれる時が来るのではと思われる…。

 

このブログを見ておられる方は「この下村は何を言ってるんや!? アホなことを言って…。ちょっとパーなんかも知れん。」と思っておられるかもしれない。

パーは合っているが、信じられないと思う方は別に信じなくても良いですよ。

でも、その前に、これまでにも書いているブログをぜひ読んで下さい。時代が、私の書いていることを証明してくれていますので…。

 

JTOC3期生一次募集 定員を大幅に上回る応募に感謝! 2017.10.19

81日~930日までの2か月間をもってJTOC3期生の願書を締め切らせていただきました。

その結果、定員32名に対し39名の応募をいただきましたことは、感謝の気持ち以外にありません。

その中には、1期生の息子さんや、2期生の奥さんもおられます。

ということは、自分の家族にも入学させたいと思って下さっているということになります。こういった事実は、私に強い勇気と自信を与えていただけました。

ただ、申し訳なく思うのは、定員があるために全員を受け入れられないことです。

入学の倍率があることは学校のステイタスを高める上において好ましいことであるかもしれませんが、そこには、やはり「申し訳ない」という気持も隣り合わせに存在しています…。

 

現在のところ、1期生の多くは桜の花にたとえると、つぼみの状態からすでに少し花が開き始めた状態にあります。

つまり、すでに開業しながら学んでいるが学生の多くは、治療効果をこれまで以上に出せるようになってきていますし、患者数も増えてきていると言っています。

また、PTで病院勤務しながら学んでいる者は、病院の中で中心的な存在感を強め、周りの同僚から尊敬の眼差しを集め、更に自信を増しつつあります。

もちろん、病院勤務後において副業で行っている治療もけっこう忙しいと言っています。

 

真のオステオパシーを学ぶことで、患者さんの人生も変えられますが、自分自身の人生も変えられるということです。

そのためにも、あえて私にここで言わせていただきたい。

最後まで私を信じ、頑張ってついて来てほしい。

そうすれば「願いは叶う!」という意味がわかるから…。

残された人生すべてを国家とオステオパシーのために捧げたいと思います。

心をこめて…。

 

2年ぶりに綱ちゃんと食事をした!    2017.10.14

東京で「オステオパシーの世界へ」&「膜の概念・頭蓋と身体のつながりⅠ」セミナーの前半を予定通り9:00pmで終えた後、私はタクシーで居酒屋「能登美」へ向かった。

友人の清水 一充(現在 JOPA相談役)を交え、旧友の渡辺 綱明(通称 ツナちゃん)と2年ぶりに会って食事をするためである。

綱ちゃんのことを知っているJOPA会員はどれぐらい在籍しているだろうか…?

元々、綱ちゃんもJOPA会員だったが、あることがきっかけで袂を分かつことになり、現在は別々の活動をしている。一時的に疎遠になった時期もあったが、元来気心の知れた最大の仲良しであったので、関係の修復に大した時間はかからなかった。

 

14日の朝、新幹線で東京に向かう途中、綱ちゃんから連絡(メール)が入る。

内容は、携帯電話を失くしたので、今日はこっちに連絡してくれとのことで電話番号が入っている。

下村「またか…。」

またか、と言うのは綱ちゃんのおもりは大変で、しょっちゅう物を落とすか失くすのだ。それが財布であれ携帯電話であれ、そんなことは国内・海外問わずお構いなし…(笑)。

まぁ ひょうきんなヤツで話題性も多い。ちなみに綱ちゃんはこんなヤツだが頭は良い。国立愛媛大学法学部に合格しているのだ。しかし、1年生の途中で親に内緒で退学し、1週間京都で浮浪者の体験もしている…(笑)。

その後、綱ちゃんは鍼灸の資格を取り、のちに縁あってオステオパシーの世界に入ってきたのだ。

そして、私が初めてオステオパシーのセミナーに参加した時、私の隣に座ったのが綱ちゃんで、その時以来の付き合いとなる。

 

さてさて、「能登美」で9:30pm 待ち合わせとなっていたので、一足先に着いて待っていると、時間より数分遅れて2人が入って来た。

綱ちゃん「やぁ、シモちゃん 久しぶり~」

下村「おぉ、綱ちゃん 元気やったか~。久しぶりやなぁ~」

一充「この3人で食事するのは久しぶりですねぇ~」

 

こういった何気ない会話でスタートするのだが、この後の会話の内容の崩れ方が早いのなんのって…。

さすがの私も、その内容をブログにまともに書くことは出来ない。

このブログを読んでいる方は、ひょっとしてその内容って…と思うだろう。

多分 その考えは当たっています(笑)。

 

そうは言いながらも、話題は現在の日本国内におけるオステオパシー界の現状を見て、カイロプラクティックのようにバラバラにしてはいけないと言う話になり、話題の方向性がやっとまともな方向へ…!

まとめていくには、どうしたら良いか…等、いろんな問題点を出していった。

そうこうしているうちに、意外な思いもかけぬ方向に…

その内容もブログには書けないが、なかなかまともな意義のある会談が出来た。

 

そして、店を出ようとした時、

 

綱ちゃん「あれ~っ、シモちゃん オレの上着知らんか?」

下村「そんなもん知らんわ、だいいちお前上着 着とったか?」

綱ちゃん「着とったわい、あれ~どこいったんやろ~」

下村「ほんまにお前のおもりは大変やな~」

一充「綱ちゃん、ここに落ちてるでぇ~」

と言ってテーブルの下に落としこんでいる上着をはらって持って来る。

綱ちゃん「清水先生 ありがとう。助かったわ~」

と言って店を出て、私が宿泊するドームホテルまで3人とことこと歩いて行く。

 

綱ちゃん「シモちゃん、わしドームホテルに泊まるわ。清水先生も泊まったら?」

一充「私はタクシーで帰りますよ」

綱ちゃん「そうなん、それならわしは1人部屋を取って泊まるわ」

ということになり、綱ちゃんは私と同じフロアの部屋を取り、ホテルで一充と別れて2人で37Fにエレベーターで上がる。

下村「わしの部屋で話をするか」

綱ちゃん「そやな」

ということになり、再び2:00amまで雑談の後別れる。

 

そして、次の朝(日曜の朝)、7:30amにけたたましく私の携帯が鳴る。綱ちゃんからだ。

 

下村「もしもし…」

綱ちゃん「おはよ〰。シモちゃん わしの携帯知らんか?」

下村「そんなもん 知るか! 失くしたんか?」

綱ちゃん「そうなんや 探してもないのでシモちゃんの部屋に忘れたんとちゃうかと思って電話したんやけど…? 今からそっちに行くわ」

 

と言って1分ほどしてノックの音が…。

 

綱ちゃん「ここに座ったのでここら辺に… あれっ ないなぁ~」

下村「自分の部屋に置いてるんやろ」

綱ちゃん「探したけどないんや。ここにもないとなると昨日行った能登美かなぁ~」

下村「そんなことあるかい。昨日この部屋でFacebook見とったやないか!!」

綱ちゃん「おぉ そうやった。それならやっぱりオレの部屋かなぁ~」

下村「いっぺん電話鳴らしたろか?」

綱ちゃん「そうや、その手があったな。シモちゃん頼むわ」

 

ということで電話を鳴らすと、綱ちゃんの部屋で電話の音が…。

 

綱ちゃん「あった、あった。悪い」

 

まぁ 綱ちゃんと半日過ごすだけでこんな具合だ(笑)。

大変世話のやけるヤツだが、なかなか面白い男だ。

 

おい、綱ちゃん! このブログを見たら、お前も何かブログに載せろよ!!

ただし、3人で食事をしながらしたバカ話のことには触れるなよ!

炎上したら大変やからな(笑)。

 

 

症例報告 2017.10.10

今回の症例報告は、9月29日に岩手県盛岡市より、母子で来院して下さった患者さんである。

お母さんは看護師さんの方で、息子さんは40歳の作業療法士の方であり、1泊2日で神戸に滞在され連続して2回の治療を行った。

帰られた後の身体の変化を確認したく電話をさせていただいた時に、ご本人にお願いをして、その後の報告レポートを送付していただいた。

お母さんのことも、お聞きすると調子が良いとのことであったので、併せて報告させていただくが、お二人とも医療従事者であるため、氏名等は伏せさせていただくことにした。

 

ご本人については以下の通りである。

*************************

先日は母親共々治療していただきありがとうございました。前回(約10カ月前)の治療後の変化を実感し、再訪させていただきました。その際の状態です。

 

既往症:

先天性白内障、右肩SLAP損傷、花粉症34歳、左膝内側側副靱帯損傷、左膝前十字靭帯損傷35歳、腰椎椎間板ヘルニア(外側ヘルニアL3~L4)、左眼視神経乳頭陥没38歳

 

現在の主症状:

右大腿外側部の断続的な鋭痛に伴い歩行時のつまずきの増加、右肩痛、眼の白い霞

 

治療後:

右大腿外側部の酷かった鋭痛が消失し、右大腿部もかなり軽くなる。その為、歩行時のつま先のひっかかりが改善。

花粉症時期の内服処方せずに過ごす事が可能となり今年は花粉が止んだのかと思ったほどです。

眼の白い霞が大分消失し視野も拡大。

治療後にジワジワと変化が訪れてきたのを実感。

 

感想:

ほぼ患部に触らずに頭部や腸骨部周辺を中心に治療。施術中は何がなんだか分からない感じでしたが、治療中に徐々に呼吸が深くなっている事を実感。その後の変化は上記の通りです。現在、自分は病院職員(作業療法士)として勤務し、患者様に対して各診療科の医師による診療を基本に回復の可能性を探っていました。しかし医学的処置での限界も時に感じていました。その矢先に自分の身体を通しマニピュレーションの奥深さを体験させていただきました。今後の自分の身体状態の変化に期待しています。下村先生本当にありがとうございました。

 

お母さんについては以下の通りである。

***********************

年齢 71歳     病名 白内障・脳梗塞

 

症状:

両眼がかすみボヤーっとして見えにくい、右下腹部膨満感と違和感、右頚部痛、右上・下肢のしびれと右上・下肢の冷感。

 

既往歴:

27歳と30歳において2度の帝王切開

32歳  子宮筋腫にて全摘出手術・腸閉塞を発症

45歳  腸閉塞手術(癒着部剥離術)

50歳  後縦靭帯骨化症手術

69歳  脳梗塞

 

治療:

<初日において>

仙骨を利用して前頭骨リフト、硬膜静脈洞をリリース、眼脈リリース、神経核のリリースのみを行なう。

この時点で、冷え、しびれ消失し、眼もよく見えるようになる。

 

<翌日30日>

来院時に、眼がよく見えるようになっていると報告されたことから、前日の治療がうまく

いったことを確信する。

2日目の治療は、脳の神経核(3ヵ所)のみを治療し終了する。もちろん、症状は完璧によくなり、喜んで岩手県に帰っていただくことが出来た。

 

3、4年前の私であれば、喜んでいただけなかった可能性はある。

しかし、私は毎日いろんなチャレンジをし、発見をし、進化し続けている。

そういった努力によって、一般的にマニピュレーションでは不可能と思われるような疾患

に対しても、一定の効果を出せているだけのことだ…。

人の何倍もの努力をしなければ、ボンクラの私にこのような効果を出せるわけがないでは

ないか…。

 

ぜひ多くの臨床家の励みになればと思いブログに上げさせていただいた。

もちろん、ご本人の了解を得た上でのことである。

 

症例報告!       2017.9.29

患者:0歳、男子(愛媛県)

主訴:甲状腺機能低下症及び……。

※……については、書くことは控えさせていただく。

初診日:2017.8.3

 

甲状腺の機能については、現在MDより投薬治療を受けており、数値は安定しているとの

ことであったが、子供さんが前に歩けず横歩きをする姿を見て、私は普通でないことに気

づく。家族の方はこんなもんだと思っていたようだ…。

 

治療:脳の神経核のリリース、右第3趾中足足根関節のリリース、エモーショナルのリリ

ースを行った後、左腸骨前方回旋を矯正する。それにより直後から普通に歩けるようになる。

 

※子供は言葉をしゃべらず、母親であっても医学的な知識がなければ異常を異常と捉えら

れないことがよくある。

したがって、歩行の姿であるとか、身体のゆがみに気をとめ、また、日常生活における

何気ない出来事などを聞くことに努めていただきたい。思わぬヒントがよく得られるか

らだ。

歯科とオステオパシーセミナー  2017.9.23~24

これは以前のブログにも書いたが、セミナーの感想を書こう。

結論から言って非常に良かったし、受講生から、その後の報告を聞いても非常に臨床に役立っているという。

まず、歯の問題であっても歯科医師のテリトリーか、我々オステオパスの仕事かどうかの鑑別方法から始まり、治療すべき歯の見つけ方からリリースまでを教えてもらった。

 

言い忘れたが、講師はコリン・マルバルD.O.である。

31歳の若さで、よくここまで勉強しているなぁ…と感心するほど豊富な知識があり教え方も上手であった。

受講生の評価も高く、明日からの臨床に使える内容であった。

 

また、数年後に来日してもらう予定である。

CIMG0574 (800x600)

 

JTOC1期生「頭蓋ベーシック」の授業を終了  2017.9.14~18

USAよりダニエル・ウィリアムズD.O.FAAOを講師として5日間、朝8:00~夕方6:00までの授業を行った。

通常は、朝9:00~夕方5:00までだが、頭蓋に関しては40時間で行ったのである。

内容についてはトップシークレットなので、当然書くことは出来ないが、生徒全員がとても楽しみに待ちに待った授業であったこともあり、意欲的に取り組んでいたのがとても印象的であった。

いろんな国のセミナーも見てきたが、頭蓋・筋骨格系の教え方や技術は、USAD.O.は上手だ。

考えてみれば当然で、METやカウンターストレイン、HVLABLTなどの技術の発祥の地はすべてアメリカだ…。

特に頭蓋に関していうならば、圧倒的なノウハウを持っている。

授業が終わった後も生徒の興奮冷めやらず…。といった言葉がピッタリであった。

 

黄砂飛来と急性心筋梗塞の関係  2017.9.21

JOPA講師である前田から、2017年9月20日のインターネット上の産経新聞の記事として、熊本大学、国立環境研究所、京都大学、工学院大学、国立循環器病研究センターの研究者と共同で、熊本大学が熊本県内の医療機関や熊本県との協力の下で実施している調査についてまとめた「黄砂飛来の翌日に急性心筋梗塞が増える可能性」という論文についての記事が載っていると聞いた。

 

その記事を元に、熊本大学のHPに掲載されている論文を確認してみると、今回の研究(調査)により、「アジア大陸の砂漠域に由来する黄砂が心筋梗塞の発症と関連していることを明らかにした」とあり、「とくに、慢性腎臓病のある方が、黄砂の影響を受けて心筋梗塞を起こしやすくなる可能性を世界で初めて示した」という旨の記載があった(論文の詳細については、下記URL<熊本大学HP>をご参照ください。)

 

この研究(調査)は心筋梗塞についてのみの調査であるが、実際に起こっている人体への影響はもっと多方面に及ぶと思われる。また、この論文の中には、PM2.5だけでなく、私が以前から常に言っているPM 0.1についても取り上げられている。

 

とても興味深い内容であるので、ブログを読まれている方は、是非最後まで読んでいただけたらと思う。

 

 

熊本大学HP:論文概要

http://www.kumamoto-u.ac.jp/whatsnew/seimei/20170904

 

熊本大学HP:論文詳細PDF

http://www.kumamoto-u.ac.jp/daigakujouhou/kouhou/pressrelease/2017-file/release170904.pdf