下村彰慶 オステオパシー人生のブログ|日本オステオパシープロフェッショナル協会

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JTOC1期生 ATSU/KCOMに研修へ 2019年5月25日~6月2日

5月26日(日)

8:00am 集合。 この日の予定は、ジェイソンさんによるオステオパシーミュージアムの見学。

ATSU大学のレストランや、街に建つスティル先生の銅像、スティル先生が住んでいた家や出版社であった建物、スティル先生の墓への参拝などなど…。

 

ミュージアムに行った時の生徒の興奮と喜びは大変なものだった。

スティル先生が育った家が解体移築されそこに保存されている。これまでは写真でしか見たことのない物が目の前にあるのだ。そりゃ~興奮するだろう(笑)。

全員、写真を撮りまくるわ、撮りまくるわ…。

 

館内に入ると、スティル先生が使っていた道具や、初めて使用した名刺(ライトニングボーンセッター)や、世界で初めての神経だけの本物の標本など、沢山の展示物を見て回った。

その後、ジェイソンさんによるスティル先生にまつわる建物の案内やお墓に…。

初めは、全員まとまって付いて来ていたのに、しばらくすると100mぐらいの長い列に…。

 

ジェイソンさん「日本人はなんで歩くのが遅いんだ…?」

下村「すみません、きっと長旅で疲れているのではないかと思います。」

とはいったが、通訳や周りにいた数名と相談すると全員一緒の答え。

答 ①ジェイソンさんの歩くスピードが異常に速い。

②ジェイソンさんと日本人の脚長差

つまり、ジェイソンさんの脚が長いので、ジェイソンさんが2歩歩くとすると

日本人は3歩歩く必要がある(笑)。

…しかしながら、これは心の中に封印して…

下村「お~い みんな、頑張ってもう少し速く歩け!」としか言わなかった(笑)。

 

しかし、ジェイソンさんのオステオパシーに関する知識はもの凄い。人物の名前や何年に生まれたとか、誰の弟子であったとか何も見ることなくつらつらと喋れるので一流のガイド以上と言わざるを得ない。

そして、スティル先生の墓の前に全員そろった時、思ってもいなかった2つの出来事が…。

1つは、スティル先生の墓の横にJTOC1期生が初めてカークスビルに来た記念としてゴールデン・フレーム・スパイリーアという苗木を植樹していただいた。

言っておきたいことは、これは決して簡単なことではない。ジェイソンさんがフェルプス総長先生やマーガレット学部長先生、そしてカークスビルの市長にかけ合って許可を取って下さったお蔭である。

この墓地では木を1本植えるだけでも市長の許可がいるのだそうだ。

ただ、この案をジェイソンさんにお願いをしたのは私の妻である裕美だ。

私の知らない所でジェイソンさんとやりとりをして、そういう方向で話をまとめていったらしい。よくやった!

もう1つのハプニングは、スティル先生の墓に植樹を終えたところで2人の男性が現れた。

1人はスティル先生のそっくりさんで△□※◎✕〇さん(名前は申し訳ないが忘れた)

もう1人は日本人で我々が宿舎としてお借りしているトゥルーマン大学でフランス語を教えておられる※〇✕◎△さん。(名前は上記同様忘れた)

この方は、日本人のMDとしてスティル先生から直接教わった根本MDに扮して現れたのだ。このハプニングについては裕美も知らなかったので本当に驚いたし、ジェイソンさんの気遣いと心遣いに感謝するしかなかった。

 

この後一旦寮に戻り、2時間程休んだ後バスでレストランへ。

夕方5時頃に全員そろった所で大型バスに乗り込み湖に行く。

ミズリー州には自然の湖は一切なく、この湖も人口湖であるとのことだが名前は覚えていない…。

この湖で我々が今回お世話になる総長先生、学部長先生、副学長先生、コンドラショフ先生など、我々がご招待し食事会をするのだが、その前に3グループに分かれて湖をモーターボートで周遊することになっている。

 

私は、第1グループに交じって周遊した後、北内らとタバコを吸いながら雑談していた。

そして、第2グループの周遊も終わり、第3グループの出発となる時に北内が…

北内「先生、では僕も行ってきます!」

と言ってカフェの扉を開けて出て行ったと思いきやすぐに戻ってきて言ったことが、

北内「先生、第3グループは僕を置いて出発してしまいましたぁ〰」

……

下村「それはしゃあないなぁ〰。それならまたここで休んでおくか?」

北内「それしかないですね…(笑)」

ということになり再休憩。

学生の中で北内だけがモーターボートでの湖の周遊に行きそこなったのだ(笑)。

北内を積み残した第3グループが戻ってきて全員レストランへ。

 

そこで、これまでの感謝と今回お世話になる感謝の気持ちを込めて、湖畔のレストランでATSU/KCOMの総長先生、学長先生方と共に6:00pmより食事会をする。この食事会は我々が設定し、総長先生をはじめ、これまでお世話になった関係者の方々をご招待したものである。

約1時間30分の食事会の始めにフェルプス総長先生の挨拶があり、私が提携の話をするためにATSUの総長先生の部屋を訪ねた時のことや、これまでに私が頑張ってきたことに対して労をねぎらうことなど、私は若くして総長になられた方の話をただ単に聴くことなく、今後の自身の勉強のためにも内容についてどういった話をされるか分析しながら拝聴させていただいた。

私は、「フェルプス先生はやはり凄く気配りのできる方だなぁ…。この方は総長になるべくしてなった方だ」ということが理解できた。

今回、JTOCと提携していただいたことで我々はカークスビルに来ることができた訳だが、これに関連する方々の気配りが十分に理解できるスピーチだった。

 

続いて私のスピーチとなり、まず提携をしていただいたことに対し感謝を述べた後、私が提携のお願いをしに来た時にどういう心境であったとか、提携してもらうために作成したプレゼンの資料にまつわる話であったり、私を信じて入学してくれた生徒に対する感謝の気持ちの他、1期生をカークスビルに連れて来られたことに対する安堵感も話した。

提携していただいてからの5年間頭の中では生徒を連れて来ることができるとは分かっていても、提携を断られたりしないだろうか…など、実際に実現するまでは気が気でなく、ずっと心と頭の奥深くで不安が続いていたのだが、約束を実現したことで心配事から解放されたのだ。

 

和やかな食事会が終わった後、北内が「先生 邉見が副学長先生からバッジをもらったみたいですよ〰」「邉見凄いっすわ! 先生が何年もかかって頂けるようになったのに、こいつ5分でもらいましたぁ〰(笑)」

下村「まさか邉見、副学長先生のその胸に光っている物は何ですかぁ〰と聞いたりしたんじ

ゃないやろなぁ〰(笑)」

邉見「私、何にもしていないし言ってもないですよぉ〰(笑)」

まぁ、邉見は運の強い女で憎めんやつや(笑)

 

再びチャーターされたバスに乗って宿舎に戻り自由行動とする。もちろん、安全な街とはいえ単独行動はしないように注意はしておいた。

 

私と裕美は、北内、牧野、桑田と共にスナックに行き、ビールやチップスなどを食べ時間を楽しんで宿舎に帰ろうとしたが、ラインにメッセージが入り、現在、宿舎で火災報知機が誤作動しベルが鳴ってうるさいので修理に1時間程…という連絡が入ったので、しばらくスナックで時間をつぶしていたら再びラインが…。

内容は「修理がなかなか難しいようで宿舎を移動することになりましたから全員帰ってくるように…」とのこと。

帰るとたしかにまだベルが鳴っている。各自枕とタオルケットを持って移動ということなので、夜の12時ぐらいに移動、そこでもうしばらく待機し部屋を割り当てられ部屋に入る。

時間は2:30amぐらい。

2段ベッドだが下の段が取り外されているので必然的に上の段へ。この2段ベッドだが上の段が異常に高くてぐらぐらする上に、天井との差が60㎝ぐらいしかない。なかなか眠れない。

もし、寝ぼけて落ちたら骨折する可能性は大! (翌日、みんなに話したら多くの者はマットを床に下して寝たそうだ)

そして、トイレに行ったらなんと大仏(宮本)が!

下村「こら大仏! お前 自分の部屋のトイレ使わんかい!」

宮本「先生 トイレは共同なんですよぉ〰(笑)」

 

つまり、トイレは中央にあり、その両隣りに個室があるのだ。両方の部屋からトイレに行けるのだ。したがって、見たくもない光景を見ることになってしまったのだ(笑)

また、トイレットペーパーはなかった(笑)

 

翌朝8時に解剖実習室に集合ということなので、早く休むように言ったが休めたかどうかは知らない(笑)

 

 

P.S.:ATSU/KCOMの説明

元々は、カークスビル・カレッジ・オブ・オステオパシック・メディスン(KCOM)という。オステオパシーの創設者アンドリュー・テイラー・スティル(A. T. Still)MD, DO, がアメリカで(世界で)初めて創った最も伝統と格式のある大学で、オステオパシーの聖地でもある。

オステオパシー医学部の単科大学だったが、現在はアリゾナなどにもキャンパスがあり総合大学となったことから、アンドリュー・テイラー・スティル・ユニバーシティ(ATSU)大学カークスビルオステオパシー医学部ということからATSU/KCOMとなっている

 

ATSU/KCOM

ATSU/KCOM

 

A.T.Still先生の銅像

A.T.Still先生の銅像

 

モーターボードによる湖周遊

モーターボードによる湖周遊

 

植樹

A.T.Still先生のお墓の横で植樹

 

A.T.Still先生のお墓

A.T.Still先生のお墓

 

A.T.Still先生の生まれた家

A.T.Still先生の生まれた家

 

トゥルーマン大学での借宿舎のベッド

トゥルーマン大学での仮宿舎のベッド

 

 

 

JTOC1期生 ATSU/KCOMに研修へ  2019年5月25日~6月2日

5月25日

自宅を5:45amにタクシーで出発。伊丹空港に7:10am到着。ここで西日本の生徒に合流!8:10am伊丹を離陸し、9:30am成田空港に。10:30amゲート前に東日本の生徒とも合流し飛行機に乗り込み11:00amに機体が駐機場を離れる。

自宅からカークスビルまで約26時間の本格的な旅が始まる。

行程は成田→シカゴ→カンザスシティ→カークスビルだが、シカゴ空港で約4時間の待ち時間があり、カンザスシティ空港からカークスビルまでバス移動で約3~4時間かかる。

 

カークスビルに行くのはこれで4回目になるので、どれだけ大変かよく知っているだけに気力と体力の維持が大変だ。特に私は若いころから時差に苦しむタイプで強めの睡眠薬を飲んでも3時間くらいしか眠れない。だから薬が残った場合はとてつもなく大変な思いをする(笑)

 

今回は飛行機の中で寝ようとしたが、眠れないので結局、日本から持ってきた事務仕事をすることにした。

 

シカゴ空港に到着して、4時間の間にウーバーを利用してどこかに行く者や、休憩する者など…短い時間だが自由行動に!ただし、個人での行動は戒めた。

 

そしてシカゴからカンザス空港へ。約1時間30分空の旅である。カンザス空港は私も初めての空港だ。ここにミュージアム館長であるジェイソンさんがチャーターして下さった大型バスが迎えに来てくれている。

 

空港に到着し、まずは何人かでタバコを吸いに外へ、そこでジェイソンさんとばったり会う。

荷物をピックアップし、大型バスに全員乗り込む。ジェイソンさんは生徒が困らないように、果物やスナック、ジュース、水などを購入して下さっていて、本当にありがたかった。

 

ジェイソンさんの気配りにはいつも頭が下がる。

 

バスが動き始めて、しばらくするとほとんどの者が爆睡状態に…。トイレ付きのバスなのでカークスビルまでノンストップで向かう。

 

7:30pmカークスビルに到着。

 

我々の宿舎はATSU/KCOMの近くにあるトゥルーマン大学の学生寮を安く使わせていただくことになる。本当にありがたい。

この日は各自部屋(個室)に入り込みぐっすり休んだ。

 

次の日の朝は8:00amに玄関に集合だ。

 

成田空港ゲート前での写真

成田空港ゲート前にて

 

シカゴ空港

シカゴ空港にて

 

大型バス

大型バスの様子

 

続きは次回へ・・・

 

 

 

 

ジャン・ピエールバラルD.O.セミナー  2019年5月3日~6日

2019年5月3日~6日の4日間に渡り、バラルD.O.による「内臓マニピュレーション テーマ:胸郭」セミナーを神戸市産業振興センターに於いて開催した。バラルD.O.はプレゼン資料を一切使うことなくホワイトボードに自ら絵を描き、説明を加えながらセミナーを進めて行く独特の手法だ。

セミナーの案内文にも書いたが、No1とNo2違いはこういった所にも出てくる。私はその違いも含めて受講生に見せたかったのだ。

No1というのは先頭を突っ走るものを言う。つまり1つの技術を完成させるに当たり、様々な知識や失敗などの経験も含めた上で出来上がる。雑学が多いのだ。しかし、No2以下は完成されたものを与えられるので雑学が少ない。テクニックだけを学ぶのであればNo2でも問題は無いが、奥深い教育を受けようとするのであれば、講師の特性を考えた上でNo1でないとできないことだ。

 

セミナーを受けて受講生はNo1とNo2の違いをハッキリ理解したようで良かった。こういったことも島国の日本人に教えないといけないから大変だ(笑)

ただ、今回のセミナーを受けて感じたことは、日本人のレベルも決して悪くは無いということ・・・。これはバラルD.O.も言っていた事だ。

だが、私が思うに日本人は、日本人を認めない。残念なことだが・・・。

 

映画界の巨匠黒沢明が一番良い例だ。ベネチアで賞を取る1週間前まで、日本のメディアはこぞって思いっきりこき下ろしていたのに、賞を取った途端に手のひらを返して「世界の黒沢」というようになった(笑)。つまり、海外で認められないと日本では認められないということだ。これは本当の話で実に情けないことだと思う。

 

狭い国土でせめぎあっているので仕方ないかもしれないが、もう少し広く物事を考え、深く物事を見る眼を持ったらどうだろう。

 

バラル先生

JTOC3期生入学式  2019年4月11日

今回は、少し時間が経ってしまったが、JTOC3期生の入学式について報告したい。

 

3期生の入学式も、例年通り3:00 pmより神戸ベイシェラトンホテルにおいて行われた。

今年も、1・2期生と同じく定員(32名)の入学となった。

 

これまでと同様、JTOC顧問であるレンゾー・モリナーリD.O.とジョー・ビューケンズD.O.のご家族も入学式に参加して頂き、和やかな入学式となった事に、いつもながら「ほっ」としている。

 

新入生は、入学式の翌日から授業が始まるので、気持ちの切り替えが大変だと思うが、頑張って欲しい。

卒業式の時に、どれだけ大化けするかが今からとても楽しみだ。

新入生諸君、是非頑張ってほしい。

 

入学式1 入学式2

メカニカルリンクセミナー&北内も講師試験に合格する!

アメリカのAAOから帰国した翌日から、六甲アイランドのファッションマート9Fにおいて4日間の国際セミナーを開催する(3月21日~24日)。

 

今年からメカニカルリンクは、JOPA傘下組織として独立させ、私が最高顧問に就き、会長を堂畑 誠としてスタートしている。

 

セミナーの前日午後に、北内がエリックブラットD.Oの講師になるための試験を受け合格した

おめでとう! 本当にめでたく嬉しいことでもある。

 

これでメカニカルリンク国際講師は堂畑と北内の2人体制となった。

つまり、メカニカルリンクのフェーズ1~6までのコースを日本人講師2人が開催することが出来る。これによって通訳なしで期間も短縮出来ること等、セミナー費用も通常よりも安く提供出来るのが最大のメリットである。

 

そして、生徒も同じ言語なので理解しやすいし質問もしやすくなる。

 

私は、教え子達がどういう形であれ成長していく姿を見られるのがすごく楽しみであり、幸せと感じられるようになった(年をとったこともあるのかもしれないが…笑)

 

今回のセミナーで、北内から面白いことを聞かされた。

 

北内「先生 リンクも心臓弁をやり始めてますよ…。」

骨端線の時もそうだったが、私が「骨端線の治療」を言い始めた直後、メカニカルリンクの創始者であるポール・ショフールが来日して「骨端線」の治療を行った時にはビックリしたが今回もそうだ。

 

ポールと私は同じ誕生日で性格も嗜好品も考え方もだいたい同じ。

しかし、こういう治療の考え方もフランスと日本ではかなりの距離があるのに同じような臓器の治療を開発しているとは本当に驚く。

まぁ いい意味で意識を高めあっているのかもしれない。

 

セミナー最終日の後、エリックが私がおこなっている心臓弁や神経核の治療を見たいと言うので北内をモデルに治療をやって見せた。

 

私が思うには、日本のオステオパシー界も世界と肩を並べようとするなら、まだ世界のだれもがやっていない分野において実際治療に使えるレベルの技術を開発しなくてはダメだと考えている。

AAOに参加する  2019.3.14~3.17

3月14日~17日までの4日間、フロリダのオーランドにおいて開催されたAAOコンボケーションに参加する。

 

13日の5:30amに自宅をタクシーで出発し、伊丹空港から成田空港へ。

そこでJALの国際線でシカゴ(オヘア)空港に。そしてAA(アメリカンエアー)に再び乗り換えてフロリダ(オーランド)空港に到着! やっぱりフロリダは日本と違って暖かい…。

その日は、明日からのレクチャーと分科セッションに備えて早く休むことにした。

 

14日(木)の午前中は休憩し、午後からの分科セッションに参加する。

すると知り合いのD.Oの何人からも、午前中に開かれていたビジネスミーティングで「アキの名前を呼ばれていたけどいなかったね」と言われるので、“オレ 何かやらかしたかなぁ…?” 何も悪い事はしていないはずやけどなぁ…。” と、ここ1年の出来事を振り返るがやはり何も悪い事はしていないと確信を持つ(子どもの頃からあまり褒められた事はなく、叱られる事ばかりだったので名前を呼ばれる=叱られる…と、身体の細胞が条件反射のように反応してしまう 笑)

まぁ 結果的にはAAOに対して、ほんの少しではあるが貢献してきたことでお礼のバッジを頂けたということだったのだ。(事前に連絡を頂けていたらビジネスミーティングに行っていたのに…)

 

そして、その夜に開催されるイブニング・スターに行き、フィーリーD.O.FAAOの治療と説明を受け、他のテーブルを見るために移動しようとした時、4人組の若いD.Oに呼び止められた。

「ドクター シモムラ」と声をかけてきていますよと通訳が言うので振り返って顔を見るが全く記憶にない。そんな私の表情を察知したのか相手の方から「多分、シモムラは私達のことを覚えていないと思います。実は、私の友達があなたのアレルギーの治療を受けてからアレルギーがなくなったのです。その時、治療中に、あなたがアレルギーと膵臓の関係について話していたのですが、よく理解出来なかったのでもう一度聞きたくて4年間探し続けていたのです」ということだった。

“膵臓…? 何のことやろ…?” と思いしばらく考えていると、多分 彼らは“脾臓と膵臓の関係”のことを“膵臓のみ”と勘違いしていると思い言っていることが理解出来た。

 

2016年SAAOで講演をするという名誉な仕事を頂いた後、そういえばチャイニーズ系のアメリカ人のD.Oのアレルギー治療をしたことを覚えているし記念写真も撮ったりしてい

る。どうやら今回の4人組はその時の友人達らしい…。そして説明していたら、治療もしてほしいと言うので了解して比較的空いている隣の部屋で治療した。

首・腰の痛みがあり右眼の奥に痒みもあり診てみると頚部の軸が右にズレており背部にうっ血がある。

そこで彼らに身体のおかれている状況を説明しながら治療し、何とか無事にうまくいった。

 

治療方法に興味を持ってくれたようで「6月に神戸に行く予定があるので見学に行ってもいいか?」「それからシモムラが薦めるドクターとセミナーを教えて欲しい」と聞いてきたので「構わないけど、それよりも〇〇D.O(USA)や○○D.O(USA)のセミナーをぜひ受けた方がいいよ」と伝えておいた。(アメリカには素晴らしい発想や技術力を持ったD.Oがいるのに案外そう感じていないのにはいつも驚く…灯台下暗しとはこのことだ)

 

ところで、今回のAAOに行ってよかったと思えたことがある。私も彼らと同じようにずっと会いたかった方がいる

しかし、3~4年会うことが出来なかったのだが、今年その方達と会うことが出来たのだ。

それが本当によかった。

 

そして17日(日)の昼に、友人でありJTOC頭蓋講師を務めてくれているダンD.O.FAAO

と食事をしている時、ダンD.O. が笑いながら大変面白いことを言ってきた。

「アキ、最近僕も電磁波を感じるようになってきた。最初アキが電磁波のことを真面目に言っているのを聞いて、アキは頭が変なんじゃないか…って思っていた。」と言ってきたので思わず私も笑ってしまったが「僕もダン君がそう思っているだろうなぁ…ぐらいは想像していたよ」と返したが理解してくれたようでよかった。

 

私達は、月曜日に帰る飛行機のチケットが取れなかったので火曜日の早朝にホテルを出て帰国したのだが、ダン君が教えてくれた日本食レストラン花水木へ月曜日の昼に行き、ラーメンとうな重を食べた結果だけを報告することにしよう。

アメリカに来て5日目となる私はすでに日本食が恋しくなっており麺類と白米に飢えていた。

そこで、うな重と味噌ラーメンを注文したのだが、うな重は想像通りの味だが、ご飯とうなぎの間に山椒がふりかけてある?(普通はうなぎの上だが)

味噌ラーメンは味噌汁を濃く煮詰めただけの味(味噌汁も注文していたので分かる)だった。

 

それでも美味いと思えた私の舌はおかしくなっていたのだろうか…?(笑)。

鹿児島(指宿)特別セミナー     2019.2.17

2月16日と17日の2日間において、鹿児島(指宿)で特別セミナーを開催した。

予定していた名古屋と静岡では最低催行人数が集まらなかったので、私は休息日としようとしていたのだが、それを知った牧野から矢のような催促が…。(笑)

 

しかし、開催するにしても10日前なので生徒が集まるはずがない…。

それで牧野に聞いてみた。

 

下村「マッキー 10日前やのに集められるんか?」

牧野「ハイ。どんなことをしても絶対20名は集めます!」

下村「ほんまやろなぁ…。飛行機のチケットも買わなあかんしなぁ…」

牧野「ハイ。自分にまかせて下さい!」

 

と、力強い返事。普通は頼もしい!と思うのだが、これまでの経験から…。

で、私も少し協力するか…という気になり

 

下村「わかった。セミナーテーマは何がいい?」

牧野「最近、首の痛みの取れない人が多いのでその辺のところを…」

下村「わかった。それは頚椎の問題ではないからや。それではセミナーのテーマは

頭蓋・頚椎と心臓の関係にしたらええ」

牧野「えっ、本当ですか。必ず集めますのでよろしくお願いします」

とのことだった。

指宿は1年ぶりで、私も大好きな所なのでもし集まらなくても久しぶりに休息にでも行くか!と思っていたら、マッキーのやつ本当に集めやがった。

こいつの勉強に対する貪欲さには本当に驚いた。

 

土曜日は10名。日曜日には更に10名が加わり20名になるとのこと。

そして、いつも通り土曜日に一人デモンストレーションを行った。

右膝の半月板損傷により手術をしているPTで頚部痛と腰痛及び膝の違和感がある。

もちろん、デモの治療はうまくいった。

 

そして、土曜日には心臓について教え、日曜日には二人に対してデモンストレーションを行った。

一人はPTで副鼻腔炎と右上肢の内転痛と制限がある。

もう一人もPTで、慢性腰痛で数日前の発熱により症状が悪化している。既往症として、肘・有鈎骨・膝を手術している。

ただ、今回のデモでこれまでと変わったことは、二人同時に平行して行ったことである。

つまり、一人に対しては、オステオパシーの診断に基づく針治療のみ(副鼻腔炎)、もう一人に対してはマニュピレーションのみ行ったのだ。そして二人とも完璧な結果を出した。

 

その後、セミナーを開始し脊柱や靭帯・心臓に対するアプローチを教えたのだが、受講生は大喜びで満足してもらえたようだ。

何よりも診方に対してとても喜んでもらえたようだ。

やはり、みんな変化を出せるようになりたいんだなぁ…と思えた瞬間でもある。

 

神戸に帰って2日目ぐらいに牧野に電話すると「これまで取れなかった痛みが取れるようになりました!」とのこと。

まぁ「よかった」の一言だ。

 

そうそう、今回は指宿に行って驚いたのだが、5年前は道路からハッキリと見えていた桜島が、年を追うごとに少しずつ見えにくくなっていたことに気づいてはいたが、1年ぶりに行ってみると晴れているのに殆んど見えないことだ。

神戸よりも、大気汚染はかなり深刻だ。当然「咳喘息」やその他の不具合のある患者さんが多いのも理解できる。

それも考えると、やはり行ってよかったと思えた。

 

JTOC1期生専門課程4年次最後の授業   2019.2.13

2月10日~13日の4日間にわたり、1期生専門課程最後の授業を行う。

科目は婦人科だが、産科と小児の内容も盛り込まれた濃い内容の授業で生徒は全員大満足であった。

 

講師はJTOC顧問を務めてもらっているレンゾー・モリナーリD.O.だ。

彼はイギリスにおける著名な婦人科医100人の中にMD以外でD.O.として唯一選ばれたオステオパスでもある。

 

婦人科・小児のセミナーは海外で何回か受けたことがあるが、彼の教える能力及び技術力には、やはり唸らせるだけのことはある。

そして教え方も紳士だ! 他のオステオパスが開発した技術や理論に対しては正直に伝え、自ら開発した技術に関しては、その開発に至る着目点(論拠)などから説明を始め、他人の技術を自分が開発したようには決して言わない…。そして結果が素晴らしいのだ。

 

彼に顧問となってもらい本当に良かったと思えた4日間だった。

 

そして、この授業にあたりモデルとなって下さった女性全員に感謝したい。

こういった方々の協力なしには、今回の授業は成立しなかったからだ。

そして、この4日間の授業が始まる前日に、最後の実技試験がレンゾー立ち合いのもと行われたが、無事全員合格することが出来た。

 

ブログを見ておられる方は、どうせ民間の学校だから甘くしたのだろう…と思うかもしれないが、私もレンゾーもそんな性格ではないし、実際にこれまでそのようなことはしていない。

これは、生徒に知り合いがいれば聞いてもらえれば分かることだ。

一期生は、よくまとまっており、何回も集まって助け合って練習していたのを知っているし実際に見ている。

 

全員合格おめでとう!

 

後、1期生のみんなと会えるのは、4月のKCOM(カークスビル大学)から義務づけられている脳の解剖ビデオ学習、5月にKCOMで行われる膜を中心とした解剖実習、8月の脳神経(講師が病気で予定通り来日出来なかったための日程変更)、10月の脳神経核と心臓弁、そして来年2月の卒業式である。

研究課程では実技テストはないがペーパー試験はある。

 

頑張ってくれ!

ベルリンより無事帰国   2018.11.19 ~11.20

いよいよ帰国の時が来た。4:00amに目覚ましで目を覚まし荷造りを開始する。そして8:00amにホテルをチェックアウトしタクシーに乗り込む。

 

運転手「Where?」

ユミ 「OK!」

運転手「…? Where?」

ユミ 「OK!」

私  「お前、何言うとんねん。どこやと聞いとんのにOKはないやろが…。」

「テーゲル エアポート」

ユミ 「行き先はあなたが言ってると思っとったんや」

私  「お前の方が先に乗り込んどんのに言う間があるわけないやろが!

まあ、いつもこんな感じで1日が始まる(動き出す)。

タクシーの運転手は、よくクラクションを鳴らす割には安全運転で全く飛ばさない…。

30分のドライブでテーゲル空港に…。ベルリンには何でも2つの空港があるらしく、その内の1つらしい…。

 

この空港は変わっていて分かりづらく不便な空港だ。チェックインカウンターの横に出国手続きとセキュリティチェックがあり、ラウンジは中にはなく一端外に出る。そしてラウンジの中にはトイレはなく、外に出て公衆トイレを使わなくてはならないのだ。

このブログを読んでおられる方はよく分からんと思われるだろうが、その通りでよく分からん創りになっている空港である。

 

ラウンジで30分、時間をつぶしゲートに向かおうとしたら、

 

裕美「あれっ 携帯がない! ちょっと鳴らしてみて…

携帯を鳴らすが音が聞こえない

 

裕美「さっきのチェックインカウンターかなぁ?」

下村「お前はいつも何か無くすか落とすか忘れるなぁ…(怒)」

 

裕美「カウンターまで戻ってみるわ」

ということになり、またカウンターに戻る。

裕美「やっぱりあった!ついてるわ私」

下村「………」

ゲートに向かい飛行機に乗り込む。ここから約1時間30分でヒースロー(ロンドン)だ。

 

下村「JALは何時出発や?」

裕美「7:00pmやったと思う、結構時間あるよ」

下村「何でそんなに早くホテルを出たんや?」

裕美「ホテルにいても仕方ないやん。何もすることないもん。それなら早くヒースローに着いて免税店を見た方がいいやろと思って…」

下村「それってお前がええだけで、わし、めっちゃしんどいやんか」

裕美「そう言われてみればそうかも…」

つまり裕美のやつ、私の体調より自分の気持ちを優先しやがった…とんでもないやつや…。

 

何もすることがないので数週間前に来たばかりの空港ラウンジに入って時間をつぶす。

このブログはまさにそのラウンジの中にある円形テーブルで書いているのだ。

ここで少し休憩(30分)

再びラウンジに戻ってこのブログを書いている。

どこに行っていたかというと、クラブサラダを食べにシーフードバーに行っていたのだ。

 

やっと搭乗時刻になったので飛行機に乗り込む。

帰りの飛行機では5時間ぐらいは眠れたので体が楽だ。新聞を3部読んだ後、NHKニュースを見てその他の時間は仕事をしていた。

 

予定より10分遅れで羽田に到着。そこから乗り継いで伊丹空港に到着し、荷物をピックアップして出てくると

 

「先生!」と言って、クラシカルオステオパシー研究会 会長の小倉君が声をかけてきた。

下村「ビックリした!何でこんな所にいるんや?」

小倉「クリス バッテンを待ってるんです!」とのこと。

どうやら同じ飛行機で日本に来たみたいだ。

2日後から4日間のセミナーをするらしい…。

こんなこともあるもんやなぁ…と思いながら、待たせているMKタクシーに乗り込み神戸に帰ってきた。

 

ベルリン シンポジウム 3日目 2018.11.18

今日はシンポジウム最終日である。

最終日はモーニングレクチャーはなく、午前と午後のワークショップがある。

 

私は午前中はアンソニー・チラD.O.(USA)のワークショップを、午後はChannel D.O.(USA)のワークショップを申し込んでいたが、チラD.O.はアメリカにおいて悪天候のため飛行機が飛ばずベルリン・シンポジウムをキャンセルされていたため、代わりの講師としてスタイルズD.O.(USA)が来られていたので、スタイルズD.O.のワークショップを取った。

午前中のワークショップをスタイルズD.O.のFunctional technique。

午後をChannel D.O.の三位一体(頭-脊柱・骨盤-足の評価と治療)を受けた。

 

スタイルズD.O.のFunctional techniqueはなかなか良かった。 Functionalといっても色んな方法があるのだが、私がJTOCで教えている内容と非常に近いものがある。したがって大変面白かった。

午後のChannel D.O.のワークショップだが、足の問題が脊柱や頭とも関連を持っているという内容で、まぁ 当たり前といえば当たり前のことでもあるし、この分野においても3年前、かなり研究し友人の勧めでドイツのオステオパシー雑誌にも投稿したこともあるので特に得られるものはなかったが教え方は十分に理解出来た。

 

そんなこんなで、頭-脊柱-足の関連については結構知っているし実践においても現在なお役立っている。

 

シンポジウムが全て終了し、夕食にイタリアンに行ったが、ここはなかなかパスタ、肉とも大変美味しかった。ドイツに来て初めてまた行ってみたいと思ったレストランであった。

 

明日は8:00amにホテルを出て帰国のためタクシーでテーゲル空港に向かう予定である。

 

おやすみ。

 

スタイルズD.O.

スタイルズD.O.

イタリアンレストラン

イタリアンレストラン

イタリアンでの料理

イタリアンでの料理

イタリアンでの料理

イタリアンでの料理

イタリアンでの料理

イタリアンでの料理