下村彰慶 オステオパシー人生のブログ|日本オステオパシープロフェッショナル協会

ポーランド、ドイツに出発   2018.11.12~11.13

11月11日(日)JTOCの授業が終わり、クチェラD.Oを夕食にお誘いし感謝の気持ちを伝えお別れした翌日、私はポーランドとドイツに向け出国することになる。

朝から出発のため荷物をまとめ、事務所の仕事も全て終了させ、6:00pmにタクシーに乗り込み伊丹空港へ。

 

8:30pmに伊丹空港を離陸し9:30pmに羽田に到着。ここで知り合いのCAと裕美が連絡を取り合って待ち合わせており、久しぶりに3人で食事でもしようかと(一杯飲もうか…と)いうことになり空港1Fのレストランで2時間ぐらい飲みながら軽食をとる。

裕美とCAは酒を飲んでいたが私はコーラを6杯も飲んだ。出発は2:30am(深夜便)なので十分時間はある。11:00pm頃に別れて我々は国際線ターミナルにタクシーで移動。

 

ポーランド通貨のZT(ジルチ)に少しの日本円を両替したり、退屈な時に読む本を2冊買ったりした後、ラウンジに行きカレー、寿司、パスタ、ビスクスープ、点心、生春巻き、うどんなどをバランスよく腹一杯食べた後、新聞を読んで時間を過ごす。つまり、ラウンジで食事をとり飛行機の中では食事をせず「すぐ寝る」という作戦をとったのだ。

 

映画も私の好きそうな物がないのでちょうどよかった。この作戦が当たり2:30am離陸後すぐに眠ってしまい、飛行機の中で4時間ぐらい眠れたと思う。眠れるとやはり結構楽だ…。

 

6時間ぐらい過ぎると少し小腹が減るのでラーメンとうどんをバランスよく食べる。

ちなみに飛行機が向かっている先はヒースローだ。ここでBAに乗り換えてクラクフ(バリツェ空港)に1:40pmに到着予定だ。ヒースローからバリツェ空港までは約4時間の空の旅となる。そこからタクシーで約30分でポーランドの宿泊地シェラトンホテルに到着。

 

BA(ブリティッシュエアー機内にて)

BA(ブリティッシュエアー機内にて)

ポーランド上空

ポーランド上空

バリツェ空港

バリツェ空港

シェラトンホテル

シェラトンホテル

 

 

 

 

JTOC1期生 マイク・クチェラD.O.,FAAO 講義 2018.11.9~11

ロンドンから帰国し、時差ボケがやっと治りかけた11月9日(金)~11日(日)にかけて

JTOC1期生の「慢性機能障害」に対する講義が始まった。

クチェラD.Oは前日朝に神戸入りした後、寿司ランチをとりホテルで休憩。夕食時に私も加わり通訳と計4人で天ぷらを食べに…。天ぷらが大変気に入ったようで何よりだった。

 

さて、9日から始まった慢性機能障害に対する授業だが、慢性気管支喘息から慢性閉塞性肺疾患など呼吸器の問題に対して多くの時間を割き、メカニズム、エビデンスに基づくオステオパシックアプローチを教えていただき、その他にTMJ、肩関節、膝関節、鎖骨、下肢の動脈の解放なども教えていただいた。

下肢の動脈の解放はムズムズ病に効果があるといわれたので、生徒の中でその病気を持っている者が実際モデルになって治療をしてもらうと動脈の解放が感じられ下肢のムズムズが楽になったそうだ。

想像通り(予測通り)クチェラD.Oの講義はいつもながら上手で、生徒を前のめりに惹きつけるものがある。特に関節やクラニアルの技術は特に上手い。

生徒からの質問にも丁寧に答えてもらえることもあり、生徒の人気は高いものがある。

そして今年から、クチェラD.OはJTOC講師として毎年来日していただくことになるのだ。

これにより私の毎年会える喜びが増えることになる。

 

本当に素晴らしい授業だった。

長期海外出張レポート 第6回目 10月19日

10月19日(金)、MIH(モリナーリ・インスチュート・オブ・ヘルス)カンファレンスが始まる日である。

ホテルで朝食を済ませカンファレンス会場へ向かう。8:30am~受付が始まり、9:00am~カンファレンスだ。

私の出番は4:00pmである。午前中は私の出番までまだまだなので気持ちも落ち着いていたが、ランチが終わるころになると気持ちが落ち着かなくなってきた…。

そして3:45pm~4:00pmまで休憩。

この時の緊張感はハンパじゃない。日本人のメンバーは全員外に出て、タバコを吸う者に付き合っていた。

その時になって伊藤が私にいらんことを言ってくる(笑)。

 

伊藤「会長、座長としてのテーマが小児の健康ですから、会長がいつも言っている頭だけを診るんじゃなく仙骨や足首を診るんだ!ということを言いましょうよ!」

下村「アホか!お前今頃になっていらんことを言うな…!せっかく暗記していることを忘れてしまうやないか!」

と言うと、他のメンバーも次々と伊藤と似たりよったりのことを言って、私の頭の中を混

乱させてくる(笑)。

こいつら、私が失敗するのを楽しみにしているのかも…。

 

休憩が終了し、4:00pmに再びカンファレンスがスタートする。

いきなり私の出番だ。

レンゾーが私のことを会場の200名に紹介してくれステージに呼ばれる。

そして覚悟を決めてスピーチをする。

 

下村「ハロー エブリバディー! マイ ネーム イズ アキヨシ シモムラ」

から始まり少しずつ会場の空気に慣れた私は全力でスピーチを行った。

後になってMIHのスタッフやレンゾーからとてもよいスピーチであったと誉めていただい

た。

バージニアでチラ先生のセミナーが終わった時は、四肢の筋緊張がスーッと消えていった

のを感じたが脊柱の緊張が残ったままだった。しかし、このスピーチが終了した時に全て

の緊張から解放されたのを自覚できたのは自分自身驚いた。

最後の夜は全員でホテル近くのイタリアンで食事をする。

 

今回、ロンドンにJTOCの生徒を連れて行って一番嬉しかったことは、連れて行った生徒

全員がJTOCの教育水準の高さを実際に理解してくれ「これなら何も全員海外講師でなく

ても日本人講師でも充分出来るクラスがありますよね…」と言ってくれたことだ。

これは私にとって本当に嬉しかった。

つまり海外のオステオパスに対して引けを取らないだけの自信と誇りを日本人自ら持って

くれたからである。

 

そして帰国する日、私と裕美はMIHからの送迎タクシーで空港へ向かい、他のメンバーは

地下鉄で空港へ。

空港ラウンジで会うことはなかったが、搭乗ゲート近くで他のメンバーと合流し、同じJAL

便で無事日本に帰国! 空港で解散式を済ませ各自自宅へ…。

23日の夜10::00頃、私は神戸に到着。

 

そして1週間経った今でも時差に苦しんでいる。

 

完結

 

カンファレンス

カンファレンス スタート!

 

登壇前の休憩の様子

登壇前の休憩中

 

いよいよ登壇!

いよいよ登壇!

 

大役を終えて

大役を終えて・・・

 

長期海外出張レポート 第5回目 10月13日

10月13日5:00am ヒルトンガーデンホテルを、5人(私・裕美・伊藤・前田・東山)が出発しロアノーク空港に6:00am到着。

7:35am シャーロットに向けて離陸する。そしてシャーロットには8:54am着。

 

ここから2つの組に別れる。

1つの組 私と伊藤の2人は、シャーロットから大西洋を渡りロンドンに向かうのだ。(ちなみに私が大西洋を渡るのはこれで2度目になる)

 

もう1組の裕美・東山・前田は日本に帰国する。

通常なら裕美は私に帯同するのだが、今回はなぜ一旦帰国するかというと、JTOC講師のジェーンスタークD.O.(CAN)とデオーラD.O.(UK)の2人に対しJTOC講師を務めていただいたお礼を兼ねて食事をするためである。

ブログを見ておられる方は、たったそれだけのために…と思われるかもしれないが、それだけのためである。

JTOCが順調に滑り出せたのは、こういった講師一人一人の理解と協力があってのことであり本当に感謝している。そのお礼をしたいのだ。

 

最近H.PやFacebookなどには、きれいに整えられた文章で「感謝」という言葉が多々見受けられるが、正直なところ私は違和感を覚える。私だけかと思い、同年代の者に聞いても殆んど同じ回答をする。

時代が違うのかもしれないが、我々が育った時代は、困った時に一晩泊めていただいたり、お金がなくまともに昼飯でさえ食べられなかった時に、腹一杯食べさせてもらった時は、その方に対しての恩を忘れることなく、それ以降は感謝の念をもって接していたし、その方が困った時は一生懸命に手伝わせていただいたものだった。

 

つまり、「感謝」という言葉を形に変えて伝えるのが普通だった。しかし、最近のテレビやH.Pを見ていると、「感謝」という言葉は頻繁によく使われてはいるが、多くの場合自分自身を美化するために使っていると感じる事の方が多い。なぜなら実際、とっている事や言動はまったく反比例している事が多いからだ。残念な事だ…。私はそういう事はしたくない。だから、そのためだけにこそ、裕美には一旦帰国してもらったのだ。

 

そして裕美が日本をロンドンに向けて出国する時には、違うメンバー4人を連れてくることになっている。

その4人とは、JTOC1期生の石橋・鳥海・井上・牧野の4名である。

そのロンドンで何があるのかだが…。MIH(モリナーリ・インスティチュート・オブ・ヘルス)のカンファレンスだ。そしてJTOC顧問であるレンゾーのオステオパス40周年のお祝いも兼ねている。

 

そこでの私の仕事とは「子どもの健康」というテーマの座長をしてほしいという依頼が半年前にレンゾーよりあったのだ。

正直なところ、そういった仕事は苦手なので、一旦「考えさせて下さい」というメールを出した後、すぐに遠回しで断ろうと思いメールを書いていたところにさすがレンゾー。私の気持ちをよく読んでいる(笑)。

レンゾーからメールが届いた。

「必ず来るように!」

 

これで万事休す。ロンドンに回るとなれば、日本を3週間空けることになる。さずがに1か月内で3週間も仕事を休んだことがない…ん、あるか?(よく考えたらこれまでにも2回ぐらいある)。

とにかく、患者さんにはここ数年、迷惑のかけ通しなので2週間の海外出張で帰国したかったのは本心である。

しかし、仕事を引き受け行くとなったからには、レンゾーに恥をかかせるわけにはいかない。

座長として何を喋り、2人の講師をどの様に紹介するかを考えただけで頭の中がいっぱいになり、これが原因で、この仕事を無事に終了させるまでは、この事が脳ミソから離れることはなかった。

 

さて、シャーロットからロンドンに出国する2人。つまり私と伊藤だが、ロアノークからシャーロットに到着したのが8:54am。ここからロンドンに向けて飛び立つのが8:00pm

…ということは、乗り継ぎまでの待ち時間が時差も加えると実に12時間もある。

2人とも、ラウンジに入れるクラスを持っているので、AAのラウンジに入り時間をつぶそうとするが、12時間はさすがに疲れる。

私はドリンクを飲んだりフードを食べたり居眠りをして時間をつぶすが、それでも時間を持て余していた。

片や伊藤はというと…正直なところ、私の知らない意外な一面をみた。伊藤はパソコンなどを上手く使えるので、今年の秋からJOPA新企画セミナーで伊藤が教えるプレゼン資料の内容の作成と見直し、そして色んな論文などを寝ることもせず目を通していたのだ。

 

そしてやっと8:00pm予定通りシャーロットを離陸、約7時間の空の旅を終えヒースロー空港(ロンドン)に到着したのが14日の9:00am。

MIHからの迎えのタクシーに乗りホテルへ。荷物を預けて、近くを散策しに出かけることに…。そうこうしている内に昼になったので、伊藤との最初の食事は、ホテル近くのイタリアンに入りパスタとピザをそれぞれ食べた上に、コーヒーを3杯もおかわりして何とか時間を引き延ばし3:00pmになったのでホテルのフロントへ。

 

この時からカンファレンスが始まる19日までの数日間、伊藤と2人でロンドンで過ごす。

しかし、これまで2人だけで話したことはなかったので、色んな意見交換が出来、大変有意義な日々を過ごせたと思う。

特に伊藤は、私のカンファレンスで喋る内容について意見を述べてくれたのはとても有り難かったし参考になった。

ここで改めて礼を言いたい。有り難う 伊藤!

 

そしてこの間、ランチやディナーの時に、伊藤が選んだレストランはどれもとても美味しく素晴らしかった。

 

さて、日本からロンドンに向かった4名は、カンファレンスの2日前(17日)にロンドン入り!

そこでMIHに参加するメンバーが全員揃った。

私・裕美・伊藤・石橋・井上(康)・牧野・鳥海の7名だ。

18日は、私と裕美を除くメンバーは、ドーバー海峡とドーバー城を見に行ったそうだ。

私は以前に行ったことがあるので行かずホテルで休養しがてら、座長としてしゃべる内容を考えていた。

そして18日の夜は全員集合しホテル横のパブで食事をする。食事後、私はスピーチで喋る内容を紙に書いてまとめることにした。

6時間ぐらい考えた末、なかなか上手い内容が出来上がった。そして何度も時間内で喋る練習をしてベッドに入るが全く眠ることが出来ず翌朝を迎えるのである。

 

今日はここまで。

 

空港にて

空港にて

 

パブにて

パブにて

 

長期海外出張レポート 第4回目 10月7日

今日の朝は早い・・・というのもバージニアに向けての移動日だからだ。サンディエゴ→バージニアとなるとアメリカ西海岸から東海岸への移動となり時差も3時間ある。

3:40amに起床し、4:50amホテルを出発する。サンディエゴを6:20am発の飛行機に乗るためだ。

 

サンディエゴ→シャーロット→ロアノークへ乗り継ぎロアノークに到着したのが5:10pm。そこからタクシーで約一時間宿泊地であるヒルトンガーデンに到着したのが7:00pmである。ここのホテルで日本から直接来た先遣隊メンバーと合流、先遣隊のメンバーは伊藤・前田である。したがってバージニアでのメンバーは計5名となる。

 

つまり私と裕美、東山、伊藤、前田のメンバーだ。では、バージニアまで何をしに来たか・・・だが?

 

松茸狩り!・・・ではない。

 

Anthony G Chila D.O.の頭蓋セミナーを受講しにきたのだ!ここまでのいきさつを簡単に説明しておこう。

 

Chila D.O.は日本で教える時はJOPAのメンバーにしか教えない・・・と Chila D.O.の方から明言して下さっている。

そして2回目に来られた時に頭蓋も教えても良いということをおっしゃって下さっていた。

しかし、しばらくして体調を崩されたので回復されるのを私は待つことにした。

 

4年ほどすると北米などで教え始められたので日本で頭蓋を教えてもらえるようにセミナー依頼をしたが何故かいい返事が返ってこない。ならばこちらからオハイオ州まで行くと言ってもいい返事が返ってこない。変だな・・・Chila D.O.は約束は守るはずなのに・・・まだ体調が十分でないのかなとも思いながら時が過ぎていった。そして今年の3月JOPAメンバーに加入してくれているバージニアオステオパシー大学(VCOM)卒の吉野允D.O.(USA)と会った時に「Chila D.O.の頭蓋セミナーを受けものすごく良かった」ということを聞き、私の内にあったマグマが火を噴いたのだ。もう一度、直談判しよう!

 

私の気持ちを綴り、何とか教えて欲しいという気持ちを伝えた。すぐに返事が返ってきた。Chila D.O.の特徴としてハッキリとは答えないが結果はダメだという内容でどう考えても普通なら諦めざる得ない内容である。

要約するとアメリカのオステオパシー大学の卒業生であること、そして卒業生でマニピュレーションの積極的な実践者であること。はっきりダメだとは書いていないがマニピュレーションを積極的に実践しているD.O.(USA)のみに教えていてMDも大学の学生も参加できないことが分かる。つまり遠回しではあるが、かなり強く私に対して断ってきているのが、私のようなアホでも分かる。

 

普通なら誰もがこれで諦めるであろうと思う。普通なら・・・だ。

しかし、私は普通ではない。もう一度手紙を書いたのだ。その手紙の内容を書くことは出来ないが、そういう気持ちにさせたのは、古くから私を信じて頑張って付いてきてくれている者に対して私からの御礼と感謝の気持ちを形にして伝えたかった。そしてこれまで私が何を見せ教えようとしていたのかを理解し、分かってもらいたかったからである。

 

普通ならすぐに返ってくるはずの返事が1か月以上経つのに返ってこない。(なぜすぐに返事が返ってこなかったのか、後で分かるのだが・・・)ということは Chila D.O.を怒らせてしまった。どうしよう・・・という思いだった。

そういう思いを引きずりながら、本来サンディエゴでするはずであった仕事の準備にも取りかかりロンドンでの仕事の依頼内容についても考え始めていた。

しかし、 Chila D.O.からの返事がこないことが気にかかり、思うように準備がはかどらない。そしてサンディエゴに向けて出発するという1か月前になって Chila D.O.から返事が届いたのである。ただし、かなり厳しい条件が付いていた。

1)JOPAのメンバーであること

2)頭蓋の40時間をアメリカで受けている事

3)頭蓋の40時間の講師がアメリカのD.O.であること

その他にこのコースはAAOやCAで認定されないかもしれないということや参加人数は6名以内にすることなどなど…が書かれていた。これらの条件すべてを満たしていないといけないのだ。chila D.O.先生からの条件を満たす者は、私を含め5名である。下村、前田、東山、近藤、伊藤である。今回、残念ながら近藤は仕事の休みがもらえなかったので参加出来なかった。

このChila D.O.の頭蓋コースがバージニアオステオパシー大学であったのだ。このバージニア大学には以前、別の用事で来たことがある。したがって今回の訪問は私にとっては2度目ということになる。

 

さてさて8日~12日までの5日間で開催されたこのセミナーは参加したメンバー全員が大変喜び感謝してくれた。そしてこれまで私がJTOCの学生やJOPAのセミナーの受講生に対して教えていたことがすべて繋がったと言ってくれた。特に連れて行った前田、東山、伊藤の3名全員が「JOPAで何年も膜について教えてもらっていたからこそ、十分に理解しついて行くことが出来た」と口々に感謝の気持ちを伝えてくれたことは嬉しかった。

サザーランドやベッカーなどが残した言葉の深い意味や技術それによって身体がどう変化するかなど実習を通じて多くを学ばせて頂けた。

伊藤は当所私が「バージニアに行く」と皆の前で発表した時「どうせ一人で行くんだろう・・・」と思ったそうだ。だけど、そうせずに条件を満たす者は決められた人数内で連れて行くと言った時は本当にびっくりしたそうだ。このブログを見てくれている会員やその他の方に対して言っておきたい。私は、もはや自分のためだけに学校や協会等の運営をやっているのではない。日本の未来のために仕事をしている。何が言いたいかというと、もし、ほとんど何も出来ない者や技術力が劣る者を海外のセミナーに連れていくと、どう思われるか分かりますか?あるいは考えた事がありますか?海外のシンポジウムやカンファレンスなどはまだマシだとしても、セミナーに海外から参加するとなるとある意味その国の代表と見られてしまう。そこにまだ右も左もよく分からない者を連れて行くと、行った本人は喜ぶだろう。全く内容について行けなくても待合室に終了証を貼れば、箔もつくだろう・・・。

またホームページに「行ってきました・・・」と書き込むことも出来るだろう。ある意味自由である。でもそのお陰で日本のレベルが低く見られ、本当に来て欲しいD.O.に来てもらえなくなるということが実際にある。つまり周りの団体に迷惑をかけることになる。もちろん、本人達はそういう意識はなく、自分のことしか考えてないのかもしれないが・・・。

テレビを見ていても、現在の多くの日本人は自由という言葉を声高に言うが義務を負わない…。残念なことだが。

 

JOPAというより、日本のオステオパシー界が一人の行動で低く見られてしまうのは、本当に残念で恥ずかしいことだ。私がこれまでシンポジウム以外に何故会員やJTOC学生をセミナーに連れて行かなかったかというと、この様に思われることが嫌だったからだ。でも、JTOC卒業生やJOPAのセミナーで頑張りJCEOメンバー登録された者に関しては条件に合う中で海外にも連れて行きたいと考えている。もちろん、多人数は難しいかもしれないが可能な限り海外に連れて行き、JTOCの教育レベルやJOPAのセミナーの高さを証明したいと思っている。それだけの自信はある。

 

5日間のセミナーだが、連日時差が合わないことに苦しんだ。睡眠薬を飲んでも3時間ぐらいしか眠れないのだ。もう一つはロンドンでの任務が常に頭から離れないことも大きかったと思うのだが・・・。

2日目の夜の10時頃サンディエゴで買ったカップラーメンを持って、お湯を入れてもらおうと1FにあるBarに行くとカウンターに東山、伊藤、裕美の3人が酒を飲んでいたので、慌ててカップラーメンをお尻の後ろに隠した。

伊藤「先生、こんな時間にどうしたんですか?」

下村「お前らがここにおるやろと思って降りてきたんや!」

東山「嘘言ってもダメですよ、今右手で隠したのはカップ麺ちゃいますのん?」

下村「うん?おぉほんまや、なんでわしの右手にカップ麺があるんやろ!」

東山「ようこんな時間からラーメン食いますねぇ・・・」

と、こいつらわしを笑いのネタにしやがった(笑)こうなることが瞬間に分かったので慌てて隠したのに・・・。

 

まぁ夜にはこんな笑いもあり、無事5日間のセミナーが終了したが、最後の日に終了証を渡される数時間前、こんなことがあった。

終了証を参加者に渡すのに我々日本人4人に質問されたのだ。

「このセミナーはAOA認定セミナーですが、皆さんはAOAのメンバーですか?」

AOAとAAOの区別が付かない方もおられると思うので、簡単に説明しておこう。AOAというのはオステオパシーの最高(最上位)の組織でその傘下にAAO、CA、SCTF・・・その他のいくつもの団体がある。Chila D.O.のセミナーはこのAOA認定のセミナーだったのだ。これですべてが理解出来た。つまり、本来このセミナーにはアメリカのオステオパシー大学を卒業したD.O.(USA)でなおかつ積極的にマニピュレーションを実践している者しか参加は出来なかった。そこにイレギュラーな我々を参加させるためにChila D.O.はダイレクターやトレーナーの先生方に約1カ月間かけて働きかけ、説得して理解を求めて下さっていたのだ。

トレーナーの内1人でも反対する方がおられれば、恐らく我々は参加出来なかっただろう。

いつもならすぐ来るはずの返信が約1か月かかったことから考えてみてもChila D.O.は我々のために大変な努力をしてくださったことが分かる。

 

説明が少し長くなったが、我々はAOAのもちろんメンバーではない。したがって「いいえ、AOAメンバーではありません」と正直に答えた。

それによる返事が以下である。

「AOAメンバーで無ければ、終了証は出しますが、AOA認定の40hを書くことは出来ませんがよろしいですか?」

当然のことなので

「もちろん、理解しています。お気遣いありがとうございます」と返答した。

我々4人は終了証を頂いたが、当然ながらそこにはAOA認定40hという言葉とChila D.O.のサインは入っていない。

ある意味、それぐらい厳格なセミナーであった。

こういったセミナーが本当に価値あるセミナーなのだ。これまで頭蓋セミナーはいくつも受けたが今回のChilaD.O.のセミナーは本当にすごく素晴らしい内容のセミナーだった。

 

なお、今回のセミナーは写真、ビデオは禁止であったので、セミナー中の写真などは一枚もない。

 

いつも不思議なのは裕美のことだ。裕美はいつも私によく怒られてはいるが、外国人の受けはいつも驚くほど良い。普通ならセミナー会場から出ていかなくてはならないのに裕美のやつ、ついてきたのは初日と最終回だけだったが、初日の日に会場に残ったままJOPA会員へのハガキを書いていた。

 

そして終了日にダイレクターのD.O.から言われていたことは「是非、またVCOMに来て下さい。会場にいてもらっても構いませんよ・・・。」だって(笑)

 

私は海外のD.O.と友好を深めるのに大変な時間と労力を要するのに、裕美はなぜかほとんど数分で皆から気に入ってもらっている。不思議な女や!ここだけはこいつに勝てない(笑)

 

しかし、VCOMで私の旅は終わらず、これからロンドンに渡り23日まで帰れないのだが、少し早いかもしれないが23日に帰国し数日過ぎた時、伊藤、東山、前田の3人からメッセージ入りのハガキが届いた。私はまったく知らなかったのだが、どうやらアメリカ滞在中にハガキを書き、感謝の気持ちを書いて投函していたようだ。こういった気持ちは本当に何物にも代えがたく嬉しいものだ。しんどくて辛くてもまた頑張ろうという気持ちにしてくれる。

 

もちろん、3人にはハガキに対するお礼を言った。

 

そして、日本に帰国しChila D.O.にお礼のメールを送った返信の中に「よくここまで業界と組織のために頑張ったね」ということを書いて下さっていた。

この文章を見た時に、Chila D.O.は私のこれまでの苦労を本当にわかって下さっているんだと感じ、恥ずかしながら思わず涙してしまった。

本当に嬉しかった。

 

セミナー前

セミナー前

 

セミナー後にチラ先生と

セミナー後にチラ先生と

長期海外出張レポート 第3回目 10月6日

この日は昼までホテルの部屋でくつろぐ。

 

昼から東山と3人で日本食材を売っているスーパー(確かMISAWA)に行き、日本のカップ麺…etc.をしこたま買い込んだ後、近くのラーメン屋に入る。スープも日本の味ではあるが麺も含めて50点ぐらい…。

その後、ウーバーを呼んで3人でショッピングモールに行くが、結局見るだけで何も買わずじまい。

 

ホテルに戻った後しばらく休み、またまた3人で自転車タクシーで、昨日行ったレストラン(オステリア)に行こうとする…が、自転車タクシーが我々がそこに向かっていることに気づかず移動し始めたので東山の出番だ

 

東山「どうします、つかまえますか?」

下村「あたり前や、わし、あんな距離絶対歩かんで!」

東山「わかりました」

ということになり、全力疾走しつかまえに走る走る。しかし、自転車タクシーも移動が速い上に長方形の公園を鍵形の形に沿って動いているのが見ていてよく分かる。

そして、その100mぐらい後方を黒い影が追いかける… 東山だ

東山 ガンバレ〰!と心の中で声援を送る。

冷静に考えると公園を斜めに横切って走ればすぐにつかまえられたものを、同じように真後ろを追うからなかなかつかまらないのだ(笑)。

 

300mぐらい追いかけてやっと自転車タクシーをつかまえたようで、私の携帯に電話をかけてきた。

東山「やっとつかまえました、どうします。そこまで迎えに行かせましょうか?」

下村「そうしてくれるか、そんな所まで行くのしんどいわ」

東山「わかりました、そこにいて下さいよ」

と言うので、動かずにいたらしばらくして自転車タクシーが…。

 

下村「東山 すまなんだな ありがとう」

東山「大変でしたわ、案外逃げ足速いですわ」

下村「そやけど、何でお前、この公園を斜めに横切らなんだんや?」

東山「ほんまですね…」

と言って自転車タクシーに目的地までの金額を聞くと$2500と言う。OK!を出し、3人でチカチカ光るライトの席に座り、夜景を楽しみながらレストランへ!

美味しい料理を食べお腹いっぱいになった後ホテルへ。

 

明日の朝6:20フライトの飛行機なので、ホテルを5:00amに出発することにして部屋に戻る。

 

ショッピングモールにて

ショッピングモールにて

 

サンディエゴ市内にて

サンディエゴ市内にて

 

自転車タクシーでレストランへ

自転車タクシーでレストランへ

 

 

長期海外出張レポート 第2回目  10月5日

この日は9:00am~ホリス・キングD.O., FAAOのレクチャーに参加する。

テーマは「全身疾患および生理機能のためのOMT-胃腸系および神経系」

 

OMEDの受付を済ませ会場へ。驚いたのはベッドがなく全てイスである。ベッドはデモ用の1台のみ。

AAOとは違いほとんどが座学となる。つまりOMEDは軸をマニュピレーションよりメディカルに置いているのが分かる。

 

そして、東山は初めての同時通訳に挑戦するのだ!

9:00amになりホリス・キングD.O.の講演が始まった。

 

東山「・・・・・・・・・・」

下村(何かしゃべらんかい!と思い東山の顔を見る)

私の視線に気づいた東山が…。

東山「先生 今は、関係ない自己紹介してますわ…。」

下村「おぉ そうやったんか(笑)」

と聞き安堵する。

そして、いよいよ誰が見てもレクチャーの時が来た。東山の出番だ!

東山「「・・・・・・・・・・」

下村「こら 東山、何か言わんかい!」

東山「分かってます。ちょっと待って下さい…。」

ちょっと待っている間にどんどん進む…。

東山「先生 同時通訳はやっぱり無理ですわ!難しいですわ」

ある程度覚悟はしていたが、結局、所々のまとまった訳では内容が全く繫がらず

分からずじまい…。逐次通訳と違って、東山の英語力をもってしても、やはり同時通訳は難しいようだ。

で、内容がよく分からないので面白くない上に、時差ボケも加わって居眠りをしてしまう。

東山「先生 どうします?」

下村「しゃあない、こうなったら昼休みで切り上げるか」

「切り上げる理由として、キング先生に、同時通訳はやってみたけれどほとんど訳がついて行けず、周りの方に迷惑をかけるので途中で失礼させてもらうと言っとけよ(笑)」

東山「えぇっ 僕ですか?」

下村「そうや それが一番きれいな理由やろ(笑)」

東山「は~い わかりました(笑)」

ということになり、キング先生に挨拶をした…・

全く知らない先生なら別に気を遣わないが、よく知っている先生だけに逆に気を遣ってしまう。

 

本来なら、サンディエゴでは5日~7日の間に1日だけ仕事をすることになっていたの

だ。

ところが、5日になるか6日になるかはっきりと相手から返事がこない内に、アンソニー

チラD.O., FAAOからメールが届いたのだ。

以前から何度もチラ先生のクラニアルを教えてほしいという私からのお願いに対して、初

めてかなり厳しい条件付きの参加OKという返事をいただいたのだ。詳しくは後ほど書く

が…。

バージニア大学で、10月8日~12日まで教えるので来なさい…。ということだったので

7日の早朝にサンディエゴを出発しないと乗り継ぎがよくないため、7日の夜にバージニアに到着出来ない。となると6日は仕事をする気持ちになれない。ということで大変申し訳ないが仕事を断ることに…。であるならばということになり、OMEDに参加したのである。

 

逐次通訳は問題ないが、同時通訳は初めてのこともあり無理だったが、しかし東山は実

にそれまでよく頑張ってくれていた。出来るかどうかはやってみないと分からないことだ

…。それよりも、それまでの努力をしたかどうかが大切なのだ。

東山は必死になって一生懸命単語を覚えていたし、英会話に行って練習もし、東山自身考

えられるだけの努力はしていた。そこが大切なのだ。だから約束通りの報酬は渡した。

東山も道中、気を遣って私の荷物を持ってくれたりしていたことに私は気づいている。

ありがとう 東山! 東山はその内、同時通訳も出来るようになるだろう。今回はそのた

めのよい練習の機会になったと思う。

 

さて、OMEDを出た後、ホテルの近くへショッピングに3人で出かけ、ワインを飲んだ

り、アホな写真を撮り合ったりして時間を楽しんだ。

そして、自転車タクシーに乗ってレストラン「オステリア」へ。ここのパスタは美味く肉

の味もよかった。

 

ここの帰り、裕美が何故かシガーバーへ行きたいと言いだし、シガーバーに立ち寄り葉巻

を買い葉巻を吸って楽しむ。

ここで知り合ったマジシャンやカイロプラクター、そしてカイロプラクターの友人で美人

な顔立ちのまま年をとった女性と仲良しになりメール交換、その交流は今も続いている。

 

そのシガーバーを出た後ホテルに戻り寝る。   今日はここまで…。

 

私はどこでしょう??

私はどこでしょう??

 

セミナー中

セミナー中

 

ホリス・キングD.O.と

ホリス・キングD.O.と

 

シガーバーにて

シガーバーにて

 

 

 

 

10月2日(火)~10月23日(火)に渡る長期海外出張

今回のような長い海外出張は、これまでの人生においても初めてである。

サンディエゴ→バージニア→ロンドンと2か国3都市に渡った。

したがって、ブログも数回に分けて書くことにしようと思う。

 

第1回目  10月2日~米国時間10月2日

10月2日午前中の診療を11時で終了し、服を着替えタクシーで伊丹空港に向かう。

12:30分に同行者である東山と空港ロビーで合流し、14:40分、成田に向けてフライト。成田での乗り継ぎは移動時間も含めて1時間20分しかない…ので、少々早歩きで動き、両替や必要な買い物を済ませ、出国手続きを済ませた後、ラウンジへ…。

東山には、ここで名物のカレーと寿司を食べておくように勧めた。

ぎりぎりまでラウンジでくつろいだ後、飛行機に乗り込む。さあ、いよいよ長い旅の始まりである…。

17:25分、LA(ロスアンジェルス)に向けJAL62便が駐機場を離れる。そしてジェットエンジンの轟音とともに機体が加速、背中が座席に押し付けられゆっくりと機体が浮き上がってゆく。

今回の長期出張は、本来はそれぞれの都市において、私は仕事をすることになっていた。

その最初がサンディエゴだったのだ。しかし、我々がチケットを取ってしまった後に、結果的には私と相手、両方の事情からサンディエゴでの本来の仕事をやむなくキャンセルせざるをえなくなったのだ。

本来することになっていた仕事に関して何かは言えないが、その代わりとして友人のD.O(USA)がOMEDに招待してくれることになり、私と東山の2人がホリスキングD.O,FAAOのセミナーに参加することになったのだ。

東山はその時の通訳として同行してもらっているのである。

LAまでは約9時間程度の時間だが、機内で寝ることなく仕事のことばかりを考えていた。主にロンドンでの仕事のことである…。

予定より少し遅れてLAに到着するが、ここで入国手続きを済ませて荷物をピックアップし、サンディエゴに向けてゲートNoへの移動と荷物を預け直さなくてはいけない。約2時間半の時間的なゆとりはあるので問題はないが結構大変である。おまけに私が入国手続きをする時に忘れ物をしてしまったため届けてもらうのにバタバタしたのだが、この時に活躍した東山の英語力は本当になかなかのものだった。

LA 13:50分に離陸し、最初の目的地であるサンディエゴには14:40分着。そのままタクシーでマリオットホテルへ。

到着した日の夜は、ホテルのインフォメーションで東山がお薦めのレストランを聞いてくれたことで、そのイタリアンに…。

歩いて10分ということだったので歩いて行くことにしたが、運動が大嫌いな私には苦痛の10分だった(笑)。

到着したレストランは、お薦めだけあってなかなか美味しかった!

しかし、私はそのレストランで、最初に出てきたパンを食べすぎてしまいメインディッシュの肉はほとんど手をつけることなく裕美と東山の胃袋の中へ…クソ〰(笑)。でもここのシーフードパスタはとてもgoodだった。帰りは歩くのを拒否しタクシーでホテルへ。

そしてこのまま お・や・す・み。

 

3日の午前10時に東山とロビーで待ち合わせ、裕美の3人でサンディエゴの観光名所となっている退役空母ミッドウェイ(MIDWAY)へ行く。この空母は退役しているとはいえ、少し前までは米国第7艦隊の原子力空母であった。米国は日本に対して43億円で買ってもらいたかったらしいのだが、日本のお国事情で買うことはなかった。

私個人の意見だが、本当にアホな(もったいない)ことをしたと思う。退役しているとはいえ、中国が現在保有している空母遼寧や現在建造中の空母と比べても、はるかに何倍も強力な打撃力(攻撃力)及びダメージコントロールシステムを持っている。

ちなみにこのブログを見ておられる方は、世界で初めて正式空母を設計し建造した国はどこかご存じですか!?

             ↓

当時の大日本帝国ですちなみに世界で米国と対等に空母を運用して戦える力を持っていたのは世界でも日本だけでした。

 

話を元に戻そう。

このMIDWAYを見学に行くのはこれで2度目である。MIDWAYの中はもの凄く広くて、格納庫などがどのようになっているかよく分かる。

カタパルト(油圧電動発進システム)などの機密部分は取り外してあるが、それにしても凄い大きさである。

そうそう、MIDWAYに入る前に公園でサンドイッチなどをブランチとして食べていたら、友人でJTOCの頭蓋講師であるダン君が、タクシーでホテルに向かう途中で我々を見つけ

「ハロー〰!」となった。

 

MIDWAYを見学した後は、自転車タクシー(人力車の人を自転車に変えた乗り物)でホテルに帰り、その日の夕食はダン君と「分子ガストロノミー」という調理方法のレストランへ行く。

ほとんどの料理はそれなりに美味しかったが、最後に注文したラーメンは…???

「これってラーメン」って感じ(笑)。

そしてタクシーでホテルへ。

 

ラウンジにて

ラウンジにて

 

空港にて

空港にて

 

ホテルにて

ホテルにて

 

米空母MIDWAY

米空母MIDWAY

 

マリオットホテル1Fショットバーにてダン君と

マリオットホテル1Fショットバーにてダン君と

 

自転車タクシー

自転車タクシー

 

 

10月4日(木)

昼まで部屋で休み、昼にホテルのバーで3人でナチョスを食べながら飲んでいると、そこへダン君からメールが…。「そこへ行ってもいい?」と聞いてきたので「いいよ」と返信すると、しばらくしてダン君も合流。夕方までそこで色んなことをしゃべった後、部屋に戻り17:30分まで時間をつぶす。

というのも18時には、これも友人でJTOCのカウンターストレイン講師であるマイククリスD.O.(USA)が寿司レストランに私達を招待してくれているのだ。

そして17:30分にタクシーを手配してくれていた。

17:30分にホテル玄関にタクシーが迎えに来てくれ待ち合わせの寿司レストランに!

その寿司レストランの寿司職人はカズという日本人でウエイトレスも日本人女性、なんとその女性はなつ子という神戸市垂水区の出身の方で私の自宅と近所であり、話が盛り上がり、お互いメール交換し、今度日本に帰国する時は遊びに行きたいと言うことだったのでもちろんOK!

交流の輪が広がるというのはいいものだと思う。

 

ここの寿司を握っているカズさんとも親しくなり、ぜひ日本に帰って来られた時は…ということになり記念写真も撮りレストランを後にした。

 

マイク夫妻と寿司レンストランにて

マイク夫妻と寿司レンストランにて

 

 

 

 

INRセミナーを開催した    2018.10.2

昨年に続きINR(神経・筋・骨格統合リリース)セミナーを神戸市産業振興センターにおいて9月22日~24日の3日間で開催した。

セミナー講師は、Jay B. Danto D.O.(USA)である。

このテクニックはJOPAから出版している「オステオパシック メディスン」の中にも書かれている。

このテクニックの創始者は、Robert C Ward D.O. FAAO であるが、Jay Danto D.O. はこの先生と何年も仕事をされた言わば直系である。

内臓と頭蓋についてのアプローチは INR の原理を元にJay Danto D.O. が開発されたものである。

 

さて、今回のセミナーテーマである内臓と頭蓋だが、特に内臓に関しては本当にもの凄く良かった。頭蓋に関しても新しい内容だが、まだ発展段階といったところだろう。

INRの内臓アプローチとはこれまでの我々が知っている内容とまったく違うが、リリースがもの凄く早い。

また、患者さんの簡単な協力も必要であるため、セラピストとの一体感があり、おそらく患者さんの満足度が高いと思える。

 

前回の筋・骨格編もそうであったが、これまでのリリースの方法と一番違うのは、フルクラムを特に必要としないことだ。

今回、Jay Danto D.O. は奥様と一緒に来日され、二人とも日本そして神戸をとても気にいってもらえたようで、また、日本に教えに来たいと言っておられる。本当に有難い話である。

 

当然数年後には更に、発展進化しているであろう。INRを再び日本で開催するつもりでいる。

 

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これからの時代 気苦労が大変だ!   2018.9.12

地震に加え日本に襲来する台風が毎年大型化してきているのに不安を感じる。前回のブログでも書いたが、20号・21号と間髪あけずに関西を直撃し、私の家も被害を受けたため取り壊すことにした。

3回もリフォームし思い出のある自宅だがしかたない…。

 

不安を感じるというのは2つある。1つはこれから家を建てるのは日本古来の木造住宅はどうかな・・・と考えさせられる。特にこれまでなら高台の前面の宅地は好まれたが台風がこれだけ大型化してくると木造家屋で建てるにはどうかなとも思えてくる。鉄筋で建てることも考えるようにしなくてはいけないだろう。

 

もう1つはJTOCの授業が終わり、講師が帰国する日の前日の夕方に大型台風21号が神戸を直撃した。

翌日伊丹~成田まで乗るはずだった飛行機は欠航が決定している。新幹線が動くかどうかは当日まで不明。しかし、講師のコニーD.Oは帰国した翌日から予約されている患者の治療があるので、どうしても予定通り日本を離れなければならない。で、どうしたかというと、ウルトラCを使って無事に成田に到着し、予定の飛行機にて帰国されたのである。

費用は当然我々がもつことになる。これからの時代、学校を運営するのは気候も加わり大変なリスクを伴うことになる。えらいこっちゃ(笑)