アメリカのミズーリ州カークスビル(Kirksville)に、ATスティルの家族や地元の人々など男女21名の学生を迎えてアメリカン・スクール・オブ・オステオパシー(American School of Osteopathy:A.S.O)が設立される。卒業生にはオステオパシー博士号(Doctor of Osteopathy:DO)の称号が与えられた。
設立当初の教師はATスティルとウィリアム・スミス医師の2名のみであった。
カークスビルにて「アメリカ・オステオパシー発展協会(The American Association for the Advancement of Osteopathy)」が発足する。これは1901年に「アメリカオステオパシー協会AOA(American Osteopathic Association)」の名称に変更となる。この組織はDOの教育および医療内容の基準を保護し向上させるために模索された。
1898
2番目の全国的組織として「オステオパシー大学協会(The Associated Colleges of Osteopathy)」が発足。これは現「アメリカ・オステオパシー医科大学協会(American Association of Colleges of Osteopathic Medicine )」である。
2月19日に、フランス上院は「オステオパス」(Osteopath)を公認したのである。業務範囲はイギリスとほぼ同等なものであるとされている。
1965年以来、日本武道医学会の研究部門だった日本オステオパシー研究部門が、日本オステオパシー医学会Japan Association of Osteopathic Medicine(JAOM)として設立される。